講記

御講聞書目録名言集

今末法は南法妙法蓮華經の七字を弘めて利生得益あるへき時也。されは此題目には餘事を交へは僻事なるへし。所詮法華經の意は煩惱即菩提。生死即涅槃。今日本國の一切衆生法華經の法音を聞と云へとも未能信。豈に疑網皆已除ならんや不除者入阿鼻獄は無疑也。疑...
念仏無間

念仏は無間地獄に堕ちること(6)

法華浄土問答鈔 文永九年(1272年.正・17)<図略>弁成の立つ。我が身叶ひ難きが故に且く聖道の行の捨閉閣抛し浄土に帰し、浄土の往生して法華を聞いて無生を悟るを得る也。  日蓮難じて云く 我が身叶ひ難ければ穢土に於て法華経等・教主釈尊等を...
人物

天台大師とは

大夫志殿御返事 弘安三年(1280)小袖一・直垂三具・同じく腰三具等云云。小袖は七貫、直垂竝びに腰は十貫、已上十七貫文に当れり。  夫れ以みれば天台大師の御位を章安大師顕して云く 止観の第一に序分を引いて云く_安禅而化。位居五品。故経云 施...
人物

三大師(弘法・慈覚・智証)のまとめ

弘法・慈覚・智証等は皆仏意に違ふのみにあらず、或は法の盗人、或は伝教大師に逆らへる僻人也。故に或は閻魔王の責めを蒙り、或は墓墳無く、或は事を入定に寄せ、或は度度大火大兵に値へり。権者は恥辱を死骸に与へざるの本文に違するか。『大田殿許御書』日...
人物

慈覚大師とは(2)

慈覚大師事 弘安三年(1280.正・27)鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給了んぬ。  法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。  何よりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中三寸の眼二つ...
人物

慈覚・智証大師とは

日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取って、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山に悪義出来して終に王法尽きにき。此の悪義鎌倉に下って又日本国を亡ぼすべし。<中略>慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに、以箭射...
女人

女人について(4)

千日尼御前御返事 弘安元年(1278/07/28)弘安元年太歳戌寅七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じ日本国甲州波木井郷の身延山と申す深山へ、同じ夫の阿仏房を使いとして送り給ふ御文に云く 女人の罪障はいかがかと存じ候へば、御法門に法華...
人物

弘法大師とは

弘法大師云く 第一大日経・第二華厳経・第三法華経と能く能く此の次第を案ずべし。仏は何なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給えるや。もし第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説き給える経あるならば尤も然るべし。其の義なくんば甚だ以って依用し難...
人物

聖徳太子とは

聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経、一切経をもんしよ(文書)として、両方のせうぶ(勝負)ありしに、ついには神はまけ仏はかたせ給て、神国はじめて仏国となりぬ『曾谷殿御返事』用明天皇の太子の上宮と申せし人、仏法を読み初め、法華経を漢土より...
宗義

本尊について(2)

本尊問答鈔     弘安元年九月。五十七歳著。与浄顕房日仲書 問て云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。 答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。 問て云く、何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや。 答ふ、法華経の第四法師品...