国・歴史

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日本の仏教史(3)

兵衛志殿御返事 建治三年(1277.08・21) 鵞目二貫文、武蔵房円日を使いにて給候ひ了んぬ。 人王三十六代皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき。其の時入鹿臣と申す者あり。あまりのをごりのものぐるわしさに王位をおばはんとふるまいしを、天皇...
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日本の仏教史(2)

四条金吾殿御返事 (四条第十八書)(告誡書)建治三年 五十六歳作  御文あらあらうけ給て、長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし。夫仏法と申は勝負を先とし、王法と申は賞罰を本とせり。故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり。中にも天竺を...
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震旦(中国)の仏教史

儒教は仏教の初門であること仏法未だ漢土に渡らざる前は黄帝等五常を以て国を治む。其の五常は仏法渡りて後、之を見れば即ち五戒なり。老子・孔子等も亦仏遠く未来を鑑み、国土に和し、仏法を信ぜしめん為に遣はす所の三聖なり。夏桀・殷紂・周幽等五常を破っ...
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日本の仏教史(1)

(人王)第三十代は欽明天皇。此の皇は第二十七代の継体の御嫡子也。治三十二年。此の皇の治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]、百済国の聖明皇、金銅の釈迦仏を渡し奉る。今日本国の上下万民一同に阿弥陀仏と申す此れ也。其の表文に云く ̄臣聞万法之中仏法最...
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天竺(インド)について

玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国々を多く記したるに、国の習いとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。瞋恚のさかんなる国もあり、愚痴の多き国もあり。一向に小乗を用いる国もあり、一向に大乗を用いる国もあり。大小兼学する国もありとみえ侍り。又...
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天竺(インド)の仏教史

阿育王月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ (掌)ににぎり(握)、龍王をしたがへ(随)て雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ(召使)給き。始は悪王なりしかども後には仏法に帰し、六万人の僧を日日に供養し、八万四千の石の塔を...
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正像末(仏教史)のまとめ

我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもて一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・龍樹菩薩・天親菩薩等華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさずけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華...
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末法万年について

像法千年の後は末法万年。持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだれたる世也。『南条兵衛七郎殿御書』仏涅槃経に記して云く_末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土とみえぬ。法滅尽経に云く_謗法の者は恒河沙、正法...
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像法一千年について

正法千年の後は像法千年也。破戒者は多く得道少なし。『南条兵衛七郎殿御書』像法に入って一十五年と申せしに、後漢の孝明皇帝永平十年丁卯の歳、仏経始めて渡って、唐の玄宗皇帝開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者一百七十六人、持ち来る経論律一千七十...
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正法一千年について

仏入滅の次日より千年をば正法と申す。持戒の人多く得道の人これあり。 『南条兵衛七郎殿御書』仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。 『教機時国鈔』仏付法蔵経等に記して云く 我が滅後に正法一千年が間、我が正法を弘むべき...