仏典に書かれていることを人に示して諭そうとしても、「仏教経典は後世の弟子が釈迦の言葉を創作して書いたもの過ぎない」と言って信用しない人が多い。
- 経典に何が書かれているかなんて興味がない
- 漢字が多くて難しく、読もうと思わない
- どうせ迷信だろう。いまどきそんな古臭い書物は用いる価値があるか。現実を見ろ、科学を学べ。
このように思っている人が非常に多い。
明治以降、取り分け戦後の現代教育を真面目に受けたインテリ層(特に中年以上の男性)にこの通念が広がっている。
そのため、仏典に書かれている内容を信用する国民は皆無に等しく、科学の教科書に説かれる理論、あるいは外道の教義が重宝されている。
非常に悲しく、嘆かわしい。
だとすると、釈迦の言葉はどこにある?
もし既存の経典が弟子が書いたものでしかないなら、釈迦の言葉はどこに残っているのだろうか?
釈迦は正覚を得た後、一言も発せず入滅したのだろうか?
経典以外どこに釈迦の言葉が残っているのだろう?
釈迦の言葉は経典にしか残っていない。
だから、釈迦の言葉を見出すには、経典を探るしかないのだ。
……
その放言は大罪
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「如是我聞」の意義
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