地理・歴史

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日本の仏教史(2)

四条金吾殿御返事(四条第十八書)(告誡書)建治三年 五十六歳作。   御文あらあらうけ給て、長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし。夫仏法と申は勝負を先とし、王法と申は賞罰を本とせり。故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり。中にも天竺...
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震旦(中国)の仏教史

仏法未だ漢土に渡らざる前は黄帝等五常を以て国を治む。其の五常は仏法渡りて後、之を見れば即ち五戒なり。老子・孔子等も亦仏遠く未来を鑑み、国土に和し、仏法を信ぜしめん為に遣はす所の三聖なり。夏桀・殷紂・周幽等五常を破って国を亡ぼす。即ち五戒を破...
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日本の仏教史

(人王)第三十代は欽明天皇。此の皇は第二十七代の継体の御嫡子也。治三十二年。此の皇の治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]、百済国の聖明皇、金銅の釈迦仏を渡し奉る。今日本国の上下万民一同に阿弥陀仏と申す此れ也。其の表文に云く ̄臣聞万法之中仏法最...
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天竺(インド)について

玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国々を多く記したるに、国の習いとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。瞋恚のさかんなる国もあり、愚痴の多き国もあり。一向に小乗を用いる国もあり、一向に大乗を用いる国もあり。大小兼学する国もありとみえ侍り。又...
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天竺(インド)の仏教史

月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ (掌)ににぎり(握)、龍王をしたがへ(随)て雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ(召使)給き。始は悪王なりしかども後には仏法に帰し、六万人の僧を日日に供養し、八万四千の石の塔をたて給...
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正像末のまとめ

仏滅後正法の始の五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等也。末法の始めには一向に本門也。一向本門の時なればとて迹門を捨べきにあらず。『四菩薩造立鈔』正法一千年の機の前には唯小乗、権大乗相叶へり。像法一千年には法華経の...
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末法万年について

像法千年の後は末法万年。持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだれたる世也。『南条兵衛七郎殿御書』仏涅槃経に記して云く_末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土とみえぬ。法滅尽経に云く_謗法の者は恒河沙、正法...
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像法一千年について

正法千年の後は像法千年也。破戒者は多く得道少なし。『南条兵衛七郎殿御書』像法に入って一十五年と申せしに、後漢の孝明皇帝永平十年丁卯の歳、仏経始めて渡って、唐の玄宗皇帝開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者一百七十六人、持ち来る経論律一千七十...
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正法一千年について

仏入滅の次日より千年をば正法と申す。持戒の人多く得道の人これあり。『南条兵衛七郎殿御書』仏付法蔵経等に記して云く 我が滅後に正法一千年が間、我が正法を弘むべき人、二十四人次第に相続すべし。迦葉・阿難等はさておきぬ。一百年の脇比丘、六百年の馬...
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日本国とは

夫れ以みれば日本国亦云く 水穂の国 亦野馬臺 又秋津嶋 又扶桑等云云。六十六国・二嶋・已上六十八ヶ国。東西三千余里、南北は不定也。此の国に五畿七道あり。と申すは山城・大和・河内・和泉・摂津等也。七道と申すは東海道十五箇国・東山道八箇国・北陸...