天竺(インド)について

玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国々を多く記したるに、国の習いとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。瞋恚のさかんなる国もあり、愚痴の多き国もあり。一向に小乗を用いる国もあり、一向に大乗を用いる国もあり。大小兼学する国もありとみえ侍り。又一向に殺生の国、一向に偸盗の国、又穀の多き国、又粟等の多き国不定也。

『南条兵衛七郎殿御書』

天竺には一向小乗・一向大乗・大小兼学の国あり、わかれたり。
『十章抄』

月氏国に三寺有り。所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺なり云云。一向小と一向大とは水火の如し。将た又通路をも分け隔てり。
『行敏訴状御会通』

天竺・震旦は外道が仏法をほろぼし、小乗が大乗をやぶるとみえたり。
『顕謗法鈔』

末法には東より西に(仏法)往く。妙楽大師云く ̄豈非中国失法求之四維〔豈中国に法を失して之を四維に求むるに非ずや〕等云云。天竺に仏法無き証文也。
『顕仏未来記』

月氏の外道。三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天、此の二天をば一切衆生の慈父悲母、又天尊主君と号す。迦毘羅・・楼僧・{うるそうぎゃ}・勒娑婆、此の三人をば三仙となづく。此れ等は仏前八百年已前已後の仙人なり。此の三仙の所説を四韋陀と号す。六万蔵あり。乃至、仏出世に当て、六師外道此の外経を習伝して五天竺の王の師となる。支流九十五六等にもなれり。
 一一に流流多くして、我慢の幢(はたほこ)高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。其の見の深きこと、巧みなるさま、儒家にはにるべくもなし。或は過去二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し、又兼ねて未来八万劫をしる。其の所説の法門の極理は、 ̄或は因中有果、或は因中無果、或は因中亦有亦無果等云云。此れ外道の極理なり。所謂、善き外道は五戒・十善戒等を持て、有漏の禅定を修し、上色・無色をきわめ、上界を涅槃と立て屈歩虫のごとくせめのぼれども、非想天より返て三悪道に堕つ。一人として天に留まるものなし。而れども天を極むる者は永くかえらずとおもえり。各々自師の義をうけて堅く執するゆえに、或は冬寒に一日に三度恒河に浴し、或は髪をぬき、或は巌に身をなげ、或は身を火にあぶり、或は五処をやく。或は裸形、或は馬を多く殺せば福をう、或は草木をやき、或は一切の木を礼す。
 此れ等の邪義、其の数をしらず。師を恭敬する事諸天の帝釈をうやまい、諸臣の皇帝を拝するがごとし。しかれども外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。善師につかえては二生三生等に悪道に堕ち、悪師につかえては順次生に悪道に堕つ。外道の所詮は内道に入る、即ち最要なり。
『開目抄』

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