天竺(インド)の仏教史

月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ (掌)ににぎり(握)、龍王をしたがへ(随)て雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ(召使)給き。始は悪王なりしかども後には仏法に帰し、六万人の僧を日日に供養し、八万四千の石の塔をたて給ふ。此大王の過去をたづぬれば、仏在世に徳勝童子、無勝童子とて二人のをさなき(幼)人あり。土の餅を仏に供養し給て一百年の内に大王と生たり。
『上野殿御返事』

阿育大王は十万八千の外道を殺し給き。此等の国王比丘等は閻浮第一之賢王、持戒第一之智者也。
『秋元殿御書(筒御器鈔)』

仏の滅後、四百年にあたりて健駄羅国の迦貳色迦王、仏法を貴み、一夏、僧を供し仏法をといしに、一々の僧異義多し。此の王不審して云く 仏説は定めて一ならん、終に脇尊者に問う。尊者答て云く 金杖を折って種々の物につくるに、形は別なれども金杖は一なり。形の異なるをば諍うといえども、金たる事をあらそわず。門々不同なれば、いりかどをば諍えども、入理は一なり等云云。又求那跋摩云く_緒論各異端修行理無二。偏執有是非達者無違諍〔緒論各異端なれども修行の理は二無し。偏執に是非有れども達者は違諍無し〕等云云。又五百羅漢の真因各異なれども、同じく聖理をえたり。大論の四悉檀の中の対治悉檀、摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣、此れ等は此の善を嫌い、此の善をほむ。檀戒進等一々にそしり、一々にほむる、皆得道をなる。
『顕謗法鈔』

迦貳志加王は仏の滅後四百余年の王なり。健陀羅国を掌のうちににぎれり。五百の羅漢を帰依して婆沙論二百巻をつくらしむ。国中總じて小乗也。其の国に大乗弘めがたかりき。発舎密多羅王は五天竺を随へて仏法を失ひ、衆僧の首をきる。
『四条金吾殿御返事(梵音声書)』

我滅後の次の日より五百年が間は一向小乗経を弘通すべし。迦葉・阿難乃至富那 奢等の十余人也。後の五百余年は権大乗経、所謂華厳・方等・深密・大日経・般若・観経・阿弥陀経等を、馬鳴菩薩・龍樹菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の四依の大菩薩大論師弘通すべし。
 而るに此れ等の阿羅漢竝びに大論師は法華経の仁義を知し食さざるには有らず。然而るに流布の時も来らず、釈尊よりも仰せつけられざる大法なれば、心には存じ給へども、口には宣べ給はず。或は粗口に囀り給ふやうなれども、実義をば一向に隠して止めぬ。
『下山御消息』

馬鳴菩薩は東印度の人にして付法蔵の第十三に列なれり。本、外道の長たりし時に勒比丘と内外の邪正を論ずるに、其の心言下に解りて重科を遮せんが為に自頭を刎んと擬す所謂〈いはく〉、我、我に敵して堕獄せしむ。勒比丘諌め止めて云く 汝頭を切ること勿れ。その頭と口とを以て大乗を讃歎せよ、と。鳴、急に起信論を造りて外小を破失せり。月氏の大乗の初め也。
『太田入道殿御返事』

龍樹菩薩は如来の滅後八百年に出世して十住毘婆沙等の権論を造りて華厳・方等・般若等の意を宣べ、大論を造りて般若・法華の差別を分かち、天親菩薩は如来の滅後九百年に出世して倶舎論を造りて小乗の意を宣べ、唯識論を造りて方等部の意を宣べ、最後に仏性論を造りて法華・涅槃の意を宣べ、了教・不了教を分かちて敢えて仏の遺言に違わず。
『守護国家論』

月氏国の大族王は率都婆を滅毀し、僧伽藍を癈すること凡そ一千六百余処。乃至大地震動して無間地獄に堕ちにき。・盧釈迦王は釈種九千九百九十万人を生け取り、竝べ従へて殺戮す。積屍芥〈くさむら〉の如く、流血池を成す。弗沙弥多羅王は四兵を興して五天に回らし僧侶を殺し、寺塔を焼く。設賞迦王は仏法を毀壊す。訖利多王は僧徒を斥逐し、仏法を毀壊す。
『行敏訴状御会通』

正法一千年の後は月氏に仏法充満せしかども、或は小をもて大を破し、或は権経をもつて実経を隠没し、仏法さまざまに乱れしかば得道の人やうやくすくなく、仏法につけて悪道に堕ちる者かずをしらず。
『撰時抄』

又付法蔵の二十五人は仏をのぞきたてまつりては、皆仏のかねて記しをき給へる権者なり。其中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ、第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ、其外仏陀密多・龍樹菩薩なんども多くの難にあへり。又難なくして、王法に御帰依いみじくて、法をひろめたる人も候。これは世に悪国善国有り、法に摂受折伏あるゆへかとみへはんべる。
『転重軽受法門』

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