禅宗は天魔の所為(4)

聖愚問答鈔下(抜粋) 文永二年 

爰に愚人、聊か和らぎて云く 経文は明鏡也。疑慮をいたすに及ばず。但し法華経は三説に秀で、一代に超えるといへども、言説に拘はらず経文に留まらざる、我等が心の本分の禅の一法にはしくべからず。凡そ万法を払遣して言語の及ばざる処を禅法とは名づけたり。
されば跋提河の辺り沙羅林の下にして、釈尊金棺より御足を出し拈華微笑して、此の法門を迦葉に付属ありしより已来、天竺二十八祖系も乱れず。唐土には六祖次第に弘通せり。達磨は西天にしては二十八祖の終り、東土にしては六祖の始め也。相伝をうしなはず、教網に滞るべからず。
 爰を以て大梵天王問仏決疑経に云く_吾有正法眼蔵 涅槃妙心 実相無相 微妙法門。教外別伝。不立文字。付属摩訶迦葉〔吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り。教外に別に伝ふ。文字を立てず。摩訶迦葉に付属す〕とて、迦葉に此の禅の一法をば教外に伝ふと見えたり。
都て修多羅の経教は月をさす指、月を見て後は何かはせん。心の本分禅の一理を知りて後は、仏教に心を留むべしや。されば古人の云く 十二部経は總て是れ閑文字と云云。仍て此の宗の六祖慧能の壇経を披見するに実に以て然也。言下に契会して後は経は何かせん。此の理、如何が弁へんや。
 聖人示して云く 汝、先づ法門を置きて道理を案ぜよ。抑そも一代の大途を伺はざれば、十宗の淵底を究めずして国を諌め人を教ふべき歟。汝が談ずる所の禅は我最前に習ひ極めて其の至極を見るに甚だ以て僻事也。
 禅に三種あり。所謂、如来禅と教禅と祖師禅と也。汝が言ふ祖師禅等の一端、之を示さん。聞きて其の旨を知れ。若し教を離れて之を伝ふといはば、教を離れて理無く、理を離れて教無し。理、全く教、教、全く理、と云ふ道理、汝、之を知らざる乎。「拈華微笑して迦葉に付属し給ふ」と云ふも是れ教也。不立文字と云ふ四字も即ち教也、文字也。此の事、和漢両国に事旧ことふりぬ。今いへば事新しきに似たれども、一両の文を勘へて汝が迷ひを払はしめん。
 補注十一に云く ̄又復若謂滞於言説者 且娑婆世界将何以為仏乎。禅徒豈不言説示人乎。無離文字談解脱義。豈不聞乎〔また、もし言説に滞るといはば、且く娑婆世界には何をもちて、以て仏事となるや。禅徒、あに言説をもて人に示さざらんや。文字を離れて解脱の義を談ずること無し。あに聞かざらんや〕。乃至、次下に云く ̄豈達磨西来直指人心見性成仏。而華厳等諸大乗経無此事耶。嗚呼世人何其愚也。汝等当信仏所説。諸仏如来言無虚妄。〔あに達磨西来して直ちに人の心を指して、性を見て成仏すと。而るに華厳等の諸大乗経に此の事無からんや。ああ、世人、何ぞ其れ愚かなるや。汝等まさに仏の所説を信ずべし。諸仏如来は、みこと虚妄なし〕
 此の文の意は、若し教文にとどこほり、言説にかかはるとて、教の外に修行すといはば、此の娑婆国にはさて如何がして仏事善根を作すべき。さやうに云ふところの禅人も、人に教ふる時は言を以て云はざるべしや。其の上、仏道の解了を云ふ時、文字を離れて義なし。又、達磨、西より来りて直指人心仏也〔直ちに人心を指して仏なり〕と云ふ。是れ程の理は華厳・大集・大般若等の法華已前の権大乗にも在在処処に之を談ぜり。是れをいみじき事とせんは無下に云ひがひなき事也。
 嗚呼、今世の人、何ぞ甚だひがめるや。只中道実相の理に契当せる妙覚果満の如来の誠諦の言を信ずべき也。又、妙楽大師の弘決の一に此の理を釈して云く ̄世人蔑教尚理觀者誤哉誤哉。〔世人、教を蔑ろにして理観をえらぶは誤れるかな、誤れるかな〕 此の文の意は、今の世の人人は観心観法を先として経教を尋ね学ばず。還りて教をあなづり、教をかろしむる、是れ誤れりと云ふ文也。
 其の上、当世の禅人、自宗に迷へり。続高僧伝を披見するに、習禅の初祖、達磨大師の伝に云く ̄藉教悟宗〔教によりて宗を悟る〕と。如来一代の聖教の道理を修学し、法門の旨・宗宗の沙汰を知るべき也。
 又、達磨の弟子六祖の第二慧果の伝に云く ̄達磨禅師以四巻楞伽授可云 我観漢地唯有此経。仁者依行自得度世〔達磨禅師、四巻の楞伽をもて可に授けて云く、我、漢の地を観るに、ただ此の経のみあり。きみ依行せば、自ら世を度することを得ん〕と。此の文の意は、達磨大師、天竺より唐土に来りて四巻の楞伽経をもて慧可に授けて云く、我、此の国を見るに此の経殊に勝れたり。汝、持ち修行して仏に成れと也。
 此れ等の祖師、既に経文を前とす。若し之に依て経に依ると云はば、大乗歟、小乗歟、権教歟、実教歟、能く能く弁ふべし。或は経を用ふるには禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等による。是れ皆法華已前の権教覆蔵の説也。只諸経に是心即仏即身是仏等の理の片を説ける一両の文と句とに迷ひて、大小、権実、顕露、覆蔵をも尋ねず。只、立不二不知而二 謂己均仏〔不二を立てて而二を知らず。己、仏に均しと謂ふ〕の大慢を成せり。彼の月氏の大慢が迹をつぎ、此の尸那の三階禅師が古風を追ふ。然りと雖も、大慢は生きながら無間に入り、三階は死して大蛇と成りぬ。をそろし、をそろし。
 釈尊は、三世了達の解了朗らかに、妙覚果満の智月潔くして、未来を鑒みたまひ、像法決疑経に記して云く_諸悪比丘或有修禅不依経論。自逐己見を以非為是 不能分別是邪是正。向道俗作如是言 我能知是我能見是。当知此人速滅我法〔諸の悪比丘、或は禅を修すること有りて経論に依らず。自ら、己、見を逐ひて、非を以て是と為し、是れ邪、是れ正と分別すること能わず。く道俗に向ひて是の如き言を作さく、我能く是れを知り、我能く是れを見ると。当に知るべし、此の人は速やかに我が法を滅す〕と。此の文の意は、諸の悪比丘あて禅を信仰して経論をも尋ねず、邪見を本として法門の是非をば弁へずして、而も男女尼法師等に向ひて、我よく法門を知れり、人はしらずと云ひて、此の禅を弘むべし。当に知るべし。此の人は我が正法を滅すべしと也。此の文をもて当世を見るに宛も符契の如し。汝慎むべし、汝畏るべし。
 先に談ずる所の天竺に二十八祖有りて、此の法門を口伝すと云ふ事、其の証拠、何に出でたるや。仏法を相伝する人、二十四人、或は二十三人と見えたり。然るを二十八祖と立つる事、所出の翻訳、何れにかある。全く見えざるところ也。此の付法蔵の人の事、私に書くべきにあらず。如来の記文分明也。
 其の付法蔵伝に云く ̄復有比丘名曰師子。於罽賓国大作仏事。時彼国王名弥羅掘。邪見熾盛 心無敬信 於罽賓国毀壊塔寺殺害衆僧。即以利剣用斬師子。頸中無血唯乳流出。相付法人於是便絶〔また比丘あり。名を師子と曰ふ。罽賓国に於て大に仏事を作す。時に彼の国王をば弥羅掘と名づけ。邪見熾盛にして心に敬信無く、罽賓国に於て塔寺を毀壊し衆僧を殺害す。即ち利剣を以て、用て師子を斬る。頸の中に血なく、ただ乳のみ流出す。法を相付する人、ここに於て便ち絶えん〕。此の文の意は仏我入涅槃の後に我が法を相伝する人、二十四人あるべし。其の中に最後弘通の人に当たるをば師子比丘と云はん。罽賓国と云ふ国にて我が法を弘むべし。彼の国の王をば檀弥羅王と云ふべし。邪見放逸にして仏法を信ぜず、衆僧を敬はず、堂塔を破り失ひ、剣を以て諸僧の頸をきらん時に、頸の中に血無く、只乳のみ出づべし。是の時に仏法を相伝せん人、絶ゆべしと定められたり。案の如く仏の御言違はず、師子尊者、頸をきられ給ふ事、実に以て爾也。王のかいな共につれて落ち畢んぬ。
 二十八祖を立つる事、甚だ以て僻見也。禅の僻事是れより興るなるべし。今、慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時、師子と達磨との年紀、遥かなる間、三人の禅師を私に作り入れて、天竺より来れる付法蔵、系を乱れずと云ひて、人に重んぜさせん為の僻事也。此の事異朝にして事旧ぬ。
 補注の十一に云く ̄今家承用二十三祖。豈有哉。若立二十八祖者 未見所出翻訳也。近来更有刻石鏤版図状七仏二十八祖 各以一偈伝受相付。嗚呼仮託何其甚歟。識者有力宜革斯弊。〔今家は二十三祖を承用す。豈にり有らん哉。若し二十八祖を立つるは、未だ所出の翻訳を見ざる也。近来、更に石に刻み、版に鏤み、七仏二十八祖を図状し、おのおの一偈を以て伝受相付すること有り。ああ、仮託、何ぞ其れ甚だしきや。識者、力有らばこの弊を宜しく革たむべし〕 是れも二十八祖を立て、石にきざみ版にちりばめて伝ふる事、甚だ以て誤れり。此の事を知る人あらば此の誤りをあらためなをせと也。祖師禅、甚だ僻事なる事、是にあり。
 先に引く所の大梵天王問仏決疑経の文を教外別伝の証拠に、汝之を引く。既に自語相違せり。其の上、此の経は説相権教也。又、開元・貞元の両度の目録にも全く載せず。是れ録外の経なる上、権教と見えたり。然れば世間の学者、用いざるところ也。証拠とするにたらず。

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