御講聞書目録名言集

今末法は南法妙法蓮華經の七字を弘めて利生得益あるへき時也。されは此題目には餘事を交へは僻事なるへし

所詮法華經の意は煩惱即菩提。生死即涅槃

今日本國の一切衆生、法華經の法音を聞くと云へとも未だ信じる能わず。豈に〔疑網皆已除〕ならんや。不除者入阿鼻獄は無疑也。疑の字は元品の無明の事也。此疑を離るるを信とは云なり

所詮佛子とは法華經の行者也

一。等一大車事仰云。此大車とは直至道場の大白牛車にして其疾如風也。所詮南無妙法蓮華經を等一大車と云也

所詮日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱者は住處即寂光土と心得べき也

法華經の意は一華一香の小善も法華經に帰すれば大善となる。縱ひ法界に充滿せる大善なりとも此經に値はすんば善根とはならす

淨名經の心ならは、我等衆生の一日一夜に作す所の罪業、八億四千の念慮を起す餘經の意は皆な三途の業因と説なり。法華經の意は此業因即ち佛ぞと明せり。されは煩惱を以て如來の種子とすと云うは此義也。

末法當今に於て惡知識と云は法然・弘法・慈覺・智證等の權人謗法の人人なり。善智識と申は日蓮等之類の事也

惡友は謗法の人人なり。善友は日蓮等之類也

法華より外の一切衆生はいかに高貴の人也とも餓鬼道の衆生也

一。貧人見此珠其心大歡喜事仰云。此の珠とは一乘無價の寶珠也。貧人とは下根の聲聞也。総じては一切衆生也。所詮末法に入て此の珠とは南無妙法蓮華經也

所詮妙と云うは不死の藥也

さて末法に入て善人とは日蓮等之類也。善心とは法華弘通の信心也。所謂南無妙法蓮華經是也

所詮末法に入ては佛を見るとは壽量品の釋尊、法を聞とは南無妙法蓮華經也

所詮末法に入ては題目の五字即是也。此又妙法蓮華經也。此五字は萬法能生の父母也。生養成榮も亦復如是。仍釋には以法爲本と釋せり。三世十方の諸佛は妙法蓮華經を以て父母とし給へり此故に四聖を供養するよりも法華經を持つは勝れたり

權教無得道法華得道と教るを下種とは云也

經云。惡世末法時能持是經者 文 此經は題目の五字也。能の一字に心を留め之を案ず可し 云云。末代惡世日本國の一切衆生持てと云經文也

權教悉く瓦礫の旅國也あやまりて本國と思て都と思ふ事迷の故也

無明即魔王、魔王即無明也。其身の身とは、日本國の謗法の一切衆生也。入ると居とは同事也。此の惡鬼が入る人は阿鼻に入る

祕法とは南無妙法蓮華經これ也

上行菩薩等を除きては総じて餘の菩薩をば悉く止の一字を以て成敗せり

阿彌陀・藥師・大日等、悉く釋尊の一月より萬水に浮ふ處の萬影なり

今末法の時は所弘の法は法華經本門の、事の一念三千の南無妙法蓮華經也。能弘の導師は本化地涌の大菩薩にてましますべし

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