月支より漢土に経論をわたす人、旧訳新訳に一百八十六人なり。羅什三蔵一人を除いてはいづれの人々も・(誤)らざるはなし。其の中に不空三蔵は殊に・(誤)り多き上、誑惑の心顕なり。
疑て云く 何をもつて知るぞや、羅什三蔵より外の人々はあやまりなりとは。汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、漢土・日本にわたる一切の訳者を用ひざるかいかん。
答て云く 此の事は余が第一の秘事なり。委細には向て問うべし。但しすこし申すべし。羅什三蔵の云く 我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕すべき。但し一つの大願あり。身を不浄になして妻をたひすべし。舌計り清浄になして仏法に妄語せじ。我死せば必ずやくべし。焼かん時、舌焼けるならば我が経をすてよと、常に高座にしてとかせ給ひしなり。上一人より下万民にいたるまで願じて云く 願はくは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給ふ後、焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り火中に青蓮華生ひて其の上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給ひき。さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給へる経々、殊に法華経は漢土にはやすやすとひろまり候しか。
『撰時抄』
月氏と漢土との中間に亀茲国と申す国あり。彼の国の内に鳩摩羅えん三蔵と申せし人の弟子鳩摩羅什と申せし人、彼の国より月氏に入り、須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此の法華経をさづかり給ひき。
其の授け給ひし時の御語に云く 此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云。此の御語を持ちて月氏より東方漢土へわたし給ひ候しなり。
『千日尼御前御返事』
菩提心論と大論とは同じ龍樹大聖の論にて候が、水火の異をばいかんがせんと見候に、此れは龍樹の異説にはあらず、訳者の所為なり。羅什は舌やけず、不空は舌やけぬ。妄語は舌やけ、実語はやけぬ事顕然也。月支より漢土へ経論わたす人、一百七十六人なり。其の中に羅什一人計りこし、教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ。一百七十六人の中、羅什より先後一百六十四人は羅什の智をもつて知り候べし。羅什来らせ給ひて前後一百六十四人が・(誤)りも顕れ、新訳の十一人が・(誤)りも顕れ、又少ざかしくなりて候も羅什の故也。
『大田殿女房御返事』
月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人也。其の中に羅什三蔵一人を除きて、前後の一百八十六人は純乳に水を加へ、薬に毒を入れたる人々也。此の理を弁えざる一切の人師末学等、設ひ一切経を読誦し、十二分経を胸に浮かべたる様なりとも、生死を離る事かたし。
『諌曉八幡抄』
後秦の羅什三蔵は、我漢土の仏法を見るに多く梵本に違せり。我が約する所の経、若し誤りなくば、我死して後、身は不浄なれば焼かると云ふとも、舌計りは焼けざらんと常に説法し給ひしに、焼き奉る時、御身は皆骨となるといへども、御舌計りは青蓮華の上に光明を放ちて、日輪を映奪し給ひき。有り難き事也。さてこそ殊更彼の三蔵所訳の法華経は唐土にやすやすと弘まらせ給ひしか。
『聖愚問答鈔』
羅什三蔵は広を捨てて略を好む。千巻の大論を百巻と成せり。
『法華取要抄』
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