宗義

本迹の法門(2)

委しく一代聖教の前後を検するに法華本門竝びに観心の智慧を起こさざれば円仏と成らず。 <中略> 迹門の大教起れば爾前の大教亡ぼし、本門の大教起れば迹門・爾前の亡ぼし、観心の大教起れば本迹・爾前共に亡ぼす。此れは是れ如来所説の聖教、従浅至深して...
宗義

本迹の法門

法華経の迹門は月の如く、寿量品は日の如し。寿量品の時は迹門の月未だ及ばず。何に況んや爾前の星をや。夜は星の時も月の時も衆務を作さず。夜暁て必ず衆務を作す。爾前・迹門にして猶お生死を離れ難し。本門寿量品に至りて必ず生死を離るべし。 『薬王品得...
女人

女人について

仏は女人は往生成仏すべからずと説かせ給ひけるは妄語と聞こえたり。妙法華経の文に_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕。妙法華経 乃至 皆是真実と申す文を以て之を思ふには女人の往生成仏決定と説かるゝ法...
仏法の余

末代の学者について

設い末代の学者為りと雖も依法不依人の義を存し、本経本論に違わば信用を加うべし。権教には学者多く実経には智者少なし。『守護国家論』 而るに今の代の世間の学者の云く 只信心計りにて解心なく南無妙法蓮華経と唱うる計りにて争でか悪趣をまぬかるべき等...
仏法の余

末法の四菩薩について

此の(地涌)千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします。所謂、上行・無辺行・浄行・安立行なり。此の四人は虚空霊山の諸大菩薩等、眼もあわせ心もをよばず。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、此の菩薩に対すれば翳眼のものの日輪を...
宗義

地涌千界の菩薩とは

地涌千界の大菩薩大地より出来せり。釈尊に第一の御弟子とおぼしき普賢・文殊等にもにるべくもなし。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集せる大菩薩、大日経等の金剛薩こんごうさっタ等の十六の大菩薩なんども、此の菩薩に対当すれば・猴{みこう}の群中...
修行

末代の修行方法

法華経には_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕云云。涅槃経には邪見之等云云。邪見方便と申すは華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。捨とは天台の云く廃也。又云く謗とは背く也。正直の初心の行者の法華経を修...
地理・歴史

正像末のまとめ

仏滅後正法の始の五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等也。末法の始めには一向に本門也。一向本門の時なればとて迹門を捨べきにあらず。『四菩薩造立鈔』正法一千年の機の前には唯小乗、権大乗相叶へり。像法一千年には法華経の...
地理・歴史

末法万年について

像法千年の後は末法万年。持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだれたる世也。『南条兵衛七郎殿御書』仏涅槃経に記して云く_末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土とみえぬ。法滅尽経に云く_謗法の者は恒河沙、正法...
地理・歴史

像法一千年について

正法千年の後は像法千年也。破戒者は多く得道少なし。『南条兵衛七郎殿御書』像法に入って一十五年と申せしに、後漢の孝明皇帝永平十年丁卯の歳、仏経始めて渡って、唐の玄宗皇帝開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者一百七十六人、持ち来る経論律一千七十...