仏法の余 外道とは 善星比丘は仏の菩薩たりし時の子なり。仏に随い奉り、出家して十二部経を受け、欲界の煩悩を壊りて四禅定を獲得せり。然りと雖も悪知識たる苦得外道に値い、仏法の正義を信ぜざるに依て出家の受戒十二部経の功徳を失い生身に阿鼻地獄に堕す。外道は五通を得て... 2024.10.10 仏法の余
仏法の余 法華経の行者について(2) 問て云く 末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕ちるや。 答て云く 法華経の第二に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫〔経を読誦し書持すること あらん者を見て... 2024.10.09 仏法の余
仏法の余 法華経の行者について 法華経第七に云く_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。従何所来 ~ 或以。杖木瓦石。而打擲之 乃至 千劫於阿鼻地獄。受大苦悩〔四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く 是の無知の比丘、~ 或は杖木・瓦石を以て... 2024.10.09 仏法の余
仏法の余 末代の僧尼について 末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説せ給て候也。文の意は末世の僧、比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟、衣を著たれば形は僧、比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提て、我出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致し、余の僧尼を寄せずし... 2024.10.09 仏法の余
仏法の余 一闡提とは 闡提とは、天竺の語、此には不信と翻す。不信とは、一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見えたり。不信とは、謗法の者なり。『顕謗法鈔』凡そ謗法とは、謗仏謗僧也。三宝一体なる故也。是れ涅槃経の文也。爰を以て法華経には則断一切 世間仏種〔則ち一切... 2024.10.08 仏法の余
仏法の余 末代の学者について 設い末代の学者為りと雖も依法不依人の義を存し、本経本論に違わば信用を加うべし。権教には学者多く実経には智者少なし。『守護国家論』 而るに今の代の世間の学者の云く 只信心計りにて解心なく南無妙法蓮華経と唱うる計りにて争でか悪趣をまぬかるべき等... 2024.10.08 仏法の余
仏法の余 末法の四菩薩について 此の(地涌)千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします。所謂、上行・無辺行・浄行・安立行なり。此の四人は虚空霊山の諸大菩薩等、眼もあわせ心もをよばず。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、此の菩薩に対すれば翳眼のものの日輪を... 2024.10.08 仏法の余