法華経は一代聖教の肝心、八万法蔵の依りどころ也。大日経・華厳経・般若経・深密経等の諸の顕密の諸経は震旦・月氏・龍宮・天上・十方世界の国土の諸仏の説教恒沙塵数也。大海を硯水とし、三千大千世界の草木を筆としても書き尽くしがたき経経の中をも、或は此れを見、或は計り推するに、法華経は最第一におはします。
『善無畏三蔵鈔』
夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄也。三世の諸仏は此の経を師として正覚をなり、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給う。
<中略>
法華経をすつる人は、すつる時はさしも父母を殺すなんどのように、おびただしくはみえ候わねども、無間地獄に堕ちては多劫を経候。
<中略>
さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ、十方の仏の身より血を 出す罪にもこえて候けるゆえに、三五の塵点をば経候けるなり。
『兄弟鈔』
法華経の第一巻に云く_無量無数劫 聞是法亦難。第五の巻に云く_是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞 等云云。法華経の御名をきく事はおぼろげにもありがたき事なり。
『法華題目抄』
六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力也。例せば日本国の人唐土の内裏に入らん事は、必ず日本の国王の勅定によるべきが如し。穢土を離れて浄土に入る事は、必ず法華経の力なるべし。
『小乗大乗分別鈔』
此の法華経は他経にもすぐれさせ給えば、多宝仏も証明し、諸仏も舌を梵天につけ給う。一字一点も妄語は候まじきにや。<中略>此の経を持つ人々は、他人なれども同じ霊山へまいりあわせ給う也。
『上野殿御返事(与南條氏書)』
凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王、帝釈等の仏性と、舎利弗、目連等の仏性と、文殊、弥勒等の仏性と、三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏、一切の法、一切の菩薩、一切の声聞、一切の梵王、帝釈、閻魔法王、日月、衆星、天神、地神、乃至地獄、餓鬼、畜生、修羅、人天、一切衆生の心中の仏性を、唯だ一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり。
<中略>
三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給ひしなり。
『法華初心成仏鈔』
孝経と申すに二あり。一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり。二には内典。今の法華経是れ也。内外異なれども其の意は是れ同じ。釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ。孝養の事也。然るに六道四生の一切衆生は皆父母也。孝養おえざりしかば仏にならせ給わず。今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。
<中略>
仏は法華経をさとらせ給いて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備え給えり。此の仏の功徳をば法華経を信ずる人にゆずり給う。例せば悲母の食う物の乳となりて赤子を養うが如し。_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕等云云。教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給う。赤子の水火をわきまえず、毒薬を知らざれども、乳を含めば身命をつぐが如し。
阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども、華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども、乃至一代聖教を胸に浮かべたる事文殊の如くならざれども、一字一句をも之を聞きし人、仏にならざることはなし。彼の五千の上慢は聞きてさとらず、不信の人也。然れども謗ぜざりしかば三月を経て仏になりにき。_若信若不信則生不動国〔若しは信、若しは不信、則ち不動の国を生ず〕と涅槃経に説かるるは此の人の事也。法華経は不信の者すら謗ぜざれば聞きつるが不思議にて仏になるなり。
『法蓮鈔』
法華経第七に云く_此経則為。閻浮提人。病之良薬〔此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり〕等云云。此の経文は法華経の文也。一代の聖教は皆如来の金言、無量劫より已来不妄語の言也。 就中此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり。多宝証明を加へ、諸仏舌相を添へ給ふ。いかでかむなしかるべき。
『可延定業御書 』
法華経をば国王・父母・日月・大海・須弥山・天地の如くおぼしめせ。諸経をば関白・大臣・公卿・乃至万民・衆星・江河・諸山・草木等の如くおぼしめすべし。
『唱法華題目鈔』
御悟りをば法華経とときおかせ給えば、此の経の文字は即ち釈迦如来の御魂也。
『祈祷鈔』
此経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏也。然れども我は肉眼なれば文字と見る也。例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随て別別也。此経の文字盲眼の者は之を見ず。肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る。仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧有べき也。即持仏身とは是也。されども僻見の行者は加様に目出度渡らせ給ふを破し奉る也。
『曽谷入道殿御返事(曽谷第三書)』
法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし。
『四条金吾殿御返事(梵音声書)』
法華経の肝心は諸法実相ととかれて本末究竟等とのべ(宣)られて候。
<中略>
されば仏法を習はん人、後世をねがはん人は法華誹謗をおそるべし。
<中略>
法華経を持つ者は必ず成仏し候。故に第六天の魔王と申す三界の主、此経を持つ人をば強ちに嫉み候なり。
『種種御振舞御書』
同じく悪道に堕ちるならば、法華経を謗ぜさせて堕すならば、世間の罪をもて堕したるにはにるべからず。聞法生謗 堕於地獄 勝於供養 恒沙仏者 等の文のごとし。此の文の心は、法華経をほう(謗)じて地獄に堕ちたるは、釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙の仏を供養し、帰依、渇仰する功徳には、百千万倍すぎたり、ととかれたり。
<中略>
無量義経計りこそ、前四十余年の諸経を嫌い、法華経一経に限って、已説の四十余年・今説の無量義経・当説の未来にとくべき涅槃経を嫌うて法華経計りをほめたり。釈迦如来・過去現在未来の三世の諸仏、世にいで給いて各々一切経を説き給うに、いずれの仏も法華経第一なり。
<中略>
法華経は真諦俗諦・空仮中・無為の理・十二大願・四十八願、一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり。
『顕謗法鈔』
抑そも法華経と申す御経は一代聖教には似るべくもなき御経にて、而も唯仏与仏と説かれて、仏と仏とのみこそしろしめされて、等覚已下乃至凡夫には叶はぬ事に候へ。されば龍樹菩薩の大論には、仏已下はただ信じて仏になるべしと見えて候。
<中略>
法華経と申すは三世十方の諸仏の父母也。めのとなり。主にてましましけるぞや。かえると申す虫は母の音を食とす。母の声を聞かざれば生長する事なし。から(迦羅)ぐら(求羅)と申す虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみかとす。仏も亦かくの如く、法華経を命とし、食とし、すみかとし給ふ。魚は水にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。鳥は木にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。月は水にやどる、仏は此の経にやどり給ふ。此の経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。
『上野殿母尼御前御返事』
法華は釈尊、乃至諸仏出世の本懐なり。
『立正観抄』
今此の妙法蓮華経とは、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道也。されば釈尊は付属を宣べ、多宝は証明を遂げ、諸仏は舌相を梵天に付けて皆是真実と宣べ給へり。此の経は一字も諸仏の本懐、一点も多生の助け也。一言一語も虚妄あるべからず。此の経の禁めを用ひざる者は諸仏の舌をきり、賢聖をあざむく人に非ずや。其の罪実に怖るべし。
<中略>
夫れ、此の法華経と申すは已今当の三説を嫌ひて、已前の経をば未顕真実と打ち破り、肩を並ぶる経をば今説の文を以てせめ、已後の経をば当説の文を以て破る。実に三説第一の経也。第四の巻に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕。此の文の意は霊山会上に薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云く、始め華厳より終り涅槃経に至るまで無量無辺の経恒河沙等の数多し。其の中には今の法華経最第一と説かれたり。然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり。
<中略>
若し此の経に勝れたりと云ふ経有らば外道天魔の説と知るべき也。
<中略>
夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性也。仏性とは法性也。法性とは菩提也。所謂、釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等、普賢・文殊・舎利弗・目連等、大梵天王・釈帝桓因・日月・明星・北斗七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・龍神・八部・人天大会・閻魔法王、上は非想の雲の上、下は那落の炎の底まで、所有、一切衆生の備ふる所の仏性を妙法蓮華経とは名づくる也。
『聖愚問答鈔』
又法華経を醍醐と称することは天台等の私の言にはあらず。仏涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給ひ、天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかゝれて候。龍樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給ふ。
<中略>
法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ、帝釈にもこえたり。
『撰時抄』
法華経に勝れたる御経ありと仰せある大妄語あるならば、恐らくはいまだ壊劫にいたらざるに大地の上にどうとおち候はんか、無間大城の最下の堅鉄にあらずばとどまりがたからんか。
<中略>
抑も法華経の第五に 文殊師利 此法華経諸仏如来秘密之蔵。於諸経中最在其上 云云。此の文のごとくならば、法華経は大日経の衆経の頂上に住し給ふ正法なり。
<中略>
慈恩大師は玄賛と申して法華経をほむる文十巻あり。伝教大師せめて云く ̄雖讃法華経還死法華心 等云云。此等をもつてをもうに、法華経をよみ讃歎する人々の中に無間地獄は多く有るなり。
<中略>
今の法華経も亦もつてかくのごとし。如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即ち一部八巻の肝心。亦復一切経の肝心。一切諸仏・菩薩・二乗・天人・・羅・龍神等の頂上の正法なり。
<中略>
小河は露と涓と井と渠と江とをば収むれども、大河ををさめず。大河は露乃至小河を摂むれども、大海ををさめず。阿含経は井江等露涓ををさめたる小河のごとし。方等経・阿弥陀経・大日経・華厳経等は小河ををさむる大河なり。法華経は露・涓・井・江・小河・大河・天雨等の一切の水を一・ももらさぬ大海なり。
<中略>
五逆謗法の大一闡提人。阿含・華厳・観経・大日経等の小水の辺にては大罪の大熱さん(散)じがたし。法華経の大雪山の上に臥しぬれば五逆・誹謗・一闡提等の大熱忽ちに散ずべし。されば愚者は必ず法華経を信ずべし。
『報恩抄』
生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず。
『椎地四郎殿御書』
法華経計り教主釈尊の正言也。三世十方の諸仏の真言也。大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給いしかば、多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す。分身の諸仏来集して長舌を梵天に付く。
<中略>
此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字、一々に皆妙の一字を備えて三十二相八十種好の仏陀なり。
<中略>
法華経の時こそ、女人成仏の時悲母の成仏も顕れ、達多の悪人成仏の時慈父の成仏も顕るれ。此の経は内典の孝経也。
『開目抄』
法華以前の経は境、智各別にして、而も権教方便なるが故に成仏せず。今法華経にして境、智一如なる間、開、示、悟、入の四仏知見をさとりて成仏する也。
『曾谷殿御返事』
法華経を以て国土を祈らば、上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄え給べき鎮護国家の大白法なり。
『法華初心成仏鈔』
法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏也。譬へば天月の東の端に出づれば、其の時即ち水に影の浮かぶが如く、音とひびきとの同時なるが如し。故に経に云く_若有聞法者 無一不成仏〔若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん〕云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文也。
『上野尼御前御返事』
法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。
『衣食御書』
法華経の一字は大地の如し、万物を出生す。一字は大海の如し、衆流を納む。一字は日月の如し、四天下をてらす。此の一字返じて月となる。月変じて仏となる。稲は変じて苗となる。苗は変じて草となる。草変じて米となる。米変じて人となる。人変じて仏となる。女人変じて妙の一字となる。妙の一字変じて臺上の釈迦仏となるべし。
『王日殿御返事』
一乗妙法蓮華経は月氏国にては一由旬の城に積み、日本国にては唯八巻也。
『内房女房御返事』
凡そ法華經と申は一切衆生皆成佛道の要法也。
『御講聞書目録』
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