般若心経の流行に注意(二)

「般若心経が法華経に劣っているという君の言い分は分かったが、人がどの経を修行しようが勝手ではないか」と思うかもしれません。ですが、これは大きな誤りです。
なぜなら、もし劣った般若心経に執着して優れた法華経を押しのけて修行するなら、仏法の深浅・勝劣に迷惑して、般若心経の利益りやくを受けられないばかりか、法華経誹謗の罪を得て、死んだ後地獄に落ちることになります。

仏法の修行は必ず時を見計らって行わなければなりません。仏法が流布する期間に正法・像法・末法の三つがあります。それぞれの期間によって修行すべき経は違います。
般若心経等の権大乗経は正法・像法の期間に修行して利益をもたらしますが、末法に突入したら、ただ一乗の法華経のみが世間に残ってこの経のみが衆生に利益をもたらします。
現代は末法に入って千年近く経っているので、正法・像法に行うべき経を修行しても悟りは得られません。般若心経の修行はとっくの昔の時代遅れということになるのです。

では、なぜ時期によって修行すべき経が違うのでしょうか?
それは、時が経つに連れ衆生の煩悩は増して福徳は薄くなり、心の病も重くなるので病の軽重に応じて用いる経を変えていく必要があるからです。
経法は薬に譬えられます。小乗経で衆生の軽病を治し、権大乗経で中病を治し、実大乗経で重病を治す、というふうに、効力の強い経を用いていって衆生の病を治していきます。
軽病な者に神薬を用いるのは非ですし、重病人に凡薬を用いても効目がないのと同じで、正法の衆生に法華経は堪え難く、末法の極重病の衆生に小乗経や権大乗経では力不足で治すことができないのです。

末代は五濁が盛んで衆生の煩悩は厚く、誤った考えも多くはびこるので、般若心経等の凡薬では極重病の末法の衆生は救われません。
ただ、法華経の神薬に頼ってのみ、救われるのです。
例えば、小船に大石を積んで海を渡ろうとすれば沈んでしまいますが、大船に大石を積んでも沈まず渡航できるようなものです。
般若心経の小船に乗って大煩悩・極重病の末代の衆生を乗せたところで沈んで用を成さず、法華経という大船に乗れば、生死の海を難なく渡って彼岸に着けるのです。

また、伝教大師が南都六宗を破って天台宗を興し、法華経を国民の拠り所の経と定めた時点から、日本国は一向に法華経流布の国です。法華経は末代万年に至るまで広く流布されることが予言されていますが、般若心経などの余経は像法までに利益をもたらし、末代に至ってはこれを修行してもこれっぽっちのあかしも得られません。
権大乗経が弘まった後に実大乗経が弘まるのは善い事ですが、実大乗経が弘まった後に権大乗経を弘める行為は忌むべきことです。
例えば、劣った者の後に優れたものが来て劣った者を追い出すのは慣例ですが、優れた者の後に劣った者が来て優れた者を追い出すなら、上下転倒した忌まわしい事です。
実大乗経の国に権大乗経(般若心経)を弘めようとする行為もこれと同じです。

般若心経は所詮日本人を救う道に非ず。今の日本人に必要なのはただ法華経の題目だけ。般若心経の読誦・書写はやめて、一向に南無妙法蓮華経を唱えるのが真の仏道を歩むものであり、仏果(成仏)を得るための唯一の道なのである。

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