創価学会とは(3)

南無妙法蓮華経をお勤めとして唱える教団は多い。
その中でも創価学会が最も勢力を持っているせいで、一般の人たちの間で、
「南無妙法蓮華経といえば創価学会」「日蓮といえば創価学会」という認識が醸成されている。

そのため、私のように無所属の人間が純粋に南無妙法蓮華経を唱えているのを人に聞かれるだけで、「あの人も創価かな?」と思われてします。あらぬ疑惑を抱かれてとても迷惑している。

しかも、創価の行いが極めて悪いから、一般人の一部には「日蓮や法華経は創価が用いる悪い物だ」という印象を抱いている者さえいる。
それだから、一般人に唱題を聞かれたり、自分の信心を表明したりした後に、「私は創価学会員ではない」「公明党にはれない」「それでも日蓮と法華経が最善だ」と微妙な立場にいることを説明して疑惑を解消しなければならないので、大変な思いをしている。

ここに、二重の悪が存在する。

つまり、創価の行い自体が悪いということが、その一。
そのため、創価が母体としている日蓮の教えと法華経までも、無知な一般人に悪いものだ
思い込ませ、純粋な信行者まであらぬ汚名を着せてしまうというのが、その二。
譬えて言うなら、ある学校に不良の生徒が跋扈してその地域に悪い評判が広まっているとする。そのため、その学校に真面目に通う生徒までもがその不良のせいで、近所の人から疑惑を持たれたり汚名を着せられたりして苦労するようなものだ。

よく、学会員で創価の悪事に懲り懲りして脱会した人がいる。
その後、創価を批判するまでならいいが、日蓮や大乗仏教そのものに問題があるとして一緒に悪いものだと決めつけて批判してしまう輩が多い。
これも非常に残念なことだ。そのようなことになってしまったら、せっかく脱会して悪友との縁を切った意味を無くしてしまう。

たとえ創価や統一教会などの邪教団体を抜け出したとしても、崇めるものがなくなって不安で仕方がないから、別の教団に入会してしまう人がいる。
現代人の多くは「宗教は組織に所属して信仰しないとだめだ」「宗教は宗教団体に属して行うもの」という潜在意識と強い依存体質があるため、その後にキリスト教や禅宗、原始仏教などに転向したりして、創価にいたころと同じような悪行を重ねてしまうのだ。

あるいは宗教自体に絶望的になって、科学万能主義や労働一辺倒の社会主義に陥ったりする。
また、日蓮批判に大乗非仏説論は都合がいいから、それに乗っかったりして大乗や日本の伝統仏教を破壊して、反仏教に成り下がってしまう。
こういうのを闇から闇、くらきより冥きに入るというのだ。
非常に嘆かわしい。

※内海聡は創価とは関わりはなく、世の中の闇に気付いて啓発もしておりいい所まで行っている。
しかし、結局大乗を非難して反仏教になってしまっているので、それまで築いた功徳も台無しである

要するに、学会員であれ脱会者であれ、そもそも無智で仏法の悟りが得られていないから、どこの教団へ転入しようが、また別の悪友に引っかかって同じように騙されてしまい、いつまで経っても苦しみから抜け出せないのだ。
それは、正しい信心が確立できておらず、根本の愚かさ、無智を克服していないことによる。
何度も同じ被害を受けては懲りずに居場所を求める。盲人が宿を探しに外に出るが、道が見えていないので、何度も穴に落っこちてしまうのと似ている。

だから、私は脱会者も学会員も目糞鼻糞だと思っている。
創価に対して浅い批判をしていい気になっている者も大したことがない、同じクズである。

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