禅宗天魔波旬説〔禅宗は天魔波旬の説〕と云云。此れ又日蓮が私の言に非ず。教外別伝と云云。仏の遺言に云く_我経之外有正法者天魔説也〔我が経の外に正法有りといはば天魔の説なり〕云云。教外別伝之言、豈に此の科を脱れんや。
『行敏訴状御会通』
禅宗と申し当時の持斎、法師等は天魔の所為也。教外別伝と申て神も仏もなしなんど申す、ものくるは(狂)しき悪法也。
『上野殿御返事』
禅宗は梁の世に達磨大師、楞伽経等大乗の空の一分を以てせし也。其の学者等、大慢を成じて教外別伝等と称し、一切経を蔑如するは天魔の所為也。
『真言諸宗違目』
若し達磨の禅観に依るといはゞ教禅とは未顕真実妄語方便の禅観なり。法華経妙禅の時には正直捨方便と捨てらるゝ禅なり。祖師達磨禅とは教外別伝の天魔禅なり。共に是れ無得道妄語の禅なり。仍つて之を用ゆべからず。
『立正観抄』
<中略>
禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり。「是法住法位、世間相常住」の金言に背く僻見なり。禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住の法と云ふが故に外道の常見なり。若し与へて之を言はゞ仏の方便三蔵の分斉なり。若し奪つて之を言はゞ但外道の邪法なり。与は当分の義、奪は法華の義なり。法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云ふなり。
禅宗と申すは又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給ひて、父母よりも重んじ神よりも御たのみあり。されば一切の諸人頭をかたぶけ、手をあさふ(叉)。かゝる世にいかなればにや候らん。天変と申して彗星長く東西に渡り、地夭と申して大地をくつがへすこと、大海の船を大風の時大波のくつがへすに似たり。大風吹いて草木をからし、飢饉も年年にゆき、疫病月月におこり、大旱魃ゆきて河池、田畠皆かはきぬ。如此三災、七難数十年起りて民半分に減じ、残りは或は父母或は兄弟、或は妻子にわかれて歎く声、秋の虫にことならず。家家のちりうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり。
『妙法比丘尼御返事』
<中略>
禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝也。法華経等の経経は教内也。譬ば月をさす指、渡りの後の船、彼岸に到りてなにかせん、月を見ては指は用事ならず等云云。彼人人謗法ともをもはず、習ひ伝へたるまゝに存の外に申すなり。然れども此言は釈迦仏をあなづり法華経を失ひ奉る因縁となりて、此国の人人皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら而も罪ともしらず。
禅宗の法門は或は教外別伝 不立文字と云ひ、或は仏祖不伝と云ひ、修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ、或は即身即仏とも云ひ、文字をも立てず、仏祖にも依らず、教法をも修学せず、画像木像をも信用せずと云ふなり。
『諸宗問答鈔』
反詰して云く 仏祖不伝と候こそ、月氏二十八祖・東土六祖とて相伝はせられ候哉。其の上迦葉尊者何ぞ一重だの花房を釈尊より授けられ、微笑して心の一法を霊山にして伝へたりとは自称する哉。又祖師無用ならば何ぞ達磨大師を本尊とする哉。修多羅の法無用ならば何ぞ朝夕の所作に真言陀羅尼をよみて、首楞厳経・金剛経・円覚経等を読誦する哉。又仏菩薩を信用せざれば、何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱ふる哉、と責むべき也。
<中略>
文字は是れ一切衆生の心法の顕れたる質也。されば人のかける物を以て其の人の心根を知りて相する事あり。凡そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以て其の人の貧福をも相する也。然らば文字は是れ一切衆生の色心不二の質也。汝若し文字を立てざれば、汝が色心をも立つべからず。さてと云ふも、かうと云ふも、有と無との二見をば離れず。無と云はば無の見也とせめよ。有と云はば有の見也とせめよ。何れも何れも叶わざる事也。
<中略>
所詮修多羅と云ふも文字也。文字是三世諸仏気命也〔文字は是れ三世諸仏の気命なり〕と天台釈し給へり。天台は震旦の禅宗の祖師の中に入りたり。何ぞ祖師の言を嫌はん。其の上御辺の御辺の色心也。凡そ一切衆生の三世不断の色心也。何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字徒云ふ耶。是れ昔し移宅しけるに我が妻を忘れたる者の如し。真実の禅法をば何としてか知るべき。哀なる禅の法門かなと責むべし。
其の上、当世の禅人、自宗に迷へり。続高僧伝を披見するに、習禅の初祖、達磨大師の伝に云く ̄藉教悟宗〔教によりて宗を悟る〕と。如来一代の聖教の道理を修学し、法門の旨・宗宗の沙汰を知るべき也。
『聖愚問答鈔』
又、達磨の弟子六祖の第二慧果の伝に云く_達磨禅師以四巻楞伽授可云 我観漢地唯有此経。仁者依行自得度世〔達磨禅師、四巻の楞伽をもて可に授けて云く、我、漢の地を観るに、ただ此の経のみあり。きみ依行せば、自ら世を度することを得ん〕と。此の文の意は、達磨大師、天竺より唐土に来りて四巻の楞伽経をもて慧可に授けて云く、我、此の国を見るに此の経殊に勝れたり。汝、持ち、修行して仏に成れと也。
此れ等の祖師、既に経文を前とす。若し之に依て経に依ると云はば、大乗歟、小乗歟、権教歟、実教歟、能く能く弁ふべし。或は経を用ふるには禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等による。是れ皆法華已前の権教覆蔵の説也。只諸経に是心即仏即身是仏等の理の片を説ける一両の文と句とに迷ひて、大小、権実、顕露、覆蔵をも尋ねず。只、立不二不知而二 謂己均仏〔不二を立てて而二を知らず。己、仏に均しと謂ふ〕の大慢を成せり。彼の月氏の大慢が迹をつぎ、此の尸那の三階禅師が古風を追ふ。然りと雖も、大慢は生きながら無間に入り、三階は死して大蛇と成りぬ。をそろし、をそろし。
釈尊は、三世了達の解了朗らかに、妙覚果満の智月潔くして、未来を鑒みたまひ、像法決疑経に記して云く_諸悪比丘或有修禅不依経論。自逐己見を以非為是 不能分別是邪是正。鎔向道俗作如是言 我能知是我能見是。当知此人速滅我法〔諸の悪比丘、或は禅を修すること有りて経論に依らず。自ら、己、見を逐ひて、非を以て是と為し、是れ邪、是れ正と分別すること能わず。鎔く道俗に向ひて是の如き言を作さく、我能く是れを知り、我能く是れを見ると。当に知るべし、此の人は速やかに我が法を滅す〕と。此の文の意は、諸の悪比丘あて禅を信仰して経論をも尋ねず、邪見を本として法門の是非をば弁へずして、而も男女尼法師等に向ひて、我よく法門を知れり、人はしらずと云ひて、此の禅を弘むべし。当に知るべし。此の人は我が正法を滅すべしと也。此の文をもて当世を見るに宛も符契の如し。汝慎むべし、汝畏るべし。
先に談ずる所の天竺に二十八祖有りて、此の法門を口伝すと云ふ事、其の証拠、何に出でたるや。仏法を相伝する人、二十四人、或は二十三人と見えたり。然るを二十八祖と立つる事、所出の翻訳、何れにかある。全く見えざるところ也。
<中略>
二十八祖を立つる事、甚だ以て僻見也。禅の僻事是れより興るなるべし。今、慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時、師子と達磨との年紀、遥かなる間、三人の禅師を私に作り入れて、天竺より来れる付法蔵、系を乱れずと云ひて、人に重んぜさせん為の僻事也。此の事異朝にして事旧ぬ。
禅宗は又此の便りを得て持斉等となつて人の眼を迷はかし、たつとげなる気色なれば、いかにひがほうもん(法門)をいゐくるへども失ともをぼへず。禅宗と申す宗は教外別伝と申して、釈尊の一切経の外に迦葉尊者にひそかにさゝやかせ給えり。されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし。猿の月の影をとるににたり云云。此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ、無礼なる故に主君にかんだうせられ、あるいは若なる法師等の学文にものうき、遊女のものぐるわしき本性に叶へる邪法なるゆへに、皆一同に持斉になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり。しかれば天は天眼をいからかし、地神は身をふるう。
『撰時抄』
禅宗の云く 法華経は月をさす指、禅宗は月也。月をえて指なにかせん。禅は仏の心、法華経は仏の言也。仏法華経等の一切経を説かせ給いて後、最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさずく。其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し、乃至付法蔵の二十八、六祖までに伝う等云云。此れ等の大妄語、国中を誑酔せしめてとしひさし。
『開目抄』
禅宗が教外別伝の所見は東西動転の眼目、南北不弁の妄見なり。牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず。
『教行証御書』
禅宗は天魔の説若し依て行ずる者は悪見を増長す。
『行敏御返事』
例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし。彼の国々、禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ。
『法門可被申様之事』
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