然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ、法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。
『善無畏鈔』
大覚世尊は我等が尊主也。先づ御本尊と定むべし。
『善無畏三蔵鈔(師恩報酬鈔)』
日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。
『報恩抄』
然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由他劫〔然るに善男子、我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり〕等云云。
『開目抄』
此の文は華厳経の三処の始成正覚、阿含経に云く_初成、浄名経の_始坐仏樹、大集経に云く_始十六年、大日経の_我昔坐道場等、仁王経の_二十九年、無量義経の_我先道場、法華経の方便品に云く_我始坐道場等を、一言に大虚妄なりとやぶるもん(文)なり。
此の過去常顕るる時、諸仏、皆釈尊の分身なり。爾前・迹門の時は、諸仏、釈尊に肩を竝べて各修各行の仏なり。かるがゆえに諸仏を本尊とする者、釈尊等を下す。今、華厳の臺上・方等・般若・大日経等の諸仏は、皆釈尊の眷属なり。
寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁、深厚本有、無三身の教主釈尊ぜれなり。
『三大秘法稟承事』
第一に本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書きて本尊と定むべし。法師品竝びに神力品に見えたり。
『唱法華題目鈔』
然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏・木画二像之本尊は有名無実也。
『観心本尊抄』
<中略>
其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。
<中略>
地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。
今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多天宮の弥勒菩薩、補陀落山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是れ等は智慧いみじく、才学ある人人とはひびけども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。
『新尼御前御返事』
我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり。此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難竝びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること、雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱るべしと仏記しおかせ給ひぬ。
宝塔品に云く_接諸大衆皆在虚空云云。此等の仏、菩薩、大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず此御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる、是を本尊とは申す也。
『日女御前御返事』
我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて、顕れ給ふ処を仏とは云うなり。
『法華初心成仏鈔』
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