女人について(2)

女人成仏鈔 文永二年

提婆品に云く_仏告諸比丘。未来世中。乃至 蓮華化生〔仏諸の比丘に告げたまわく、未来世の中に。乃至 蓮華より化生せん〕。此の提婆品に、二箇の諌暁あり。所謂、達多の弘経は釈尊の成道を明かし、又、文殊の通経は龍女の作仏を説く。
 されば此の品を長安宮に一品切り留めて、二十七品を世に流布する間、秦の代より梁の代に至るまで、七代の間の王は、二十七品の経を講読す。其の後、満法師と云ひし人、此の品、法華経になき由を読み出され候て後、長安城より尋ね出だし、今は二十八品にて弘まらせ給ふ。
 さて此の品に浄心信敬の人のことを云ふに、一には不堕三悪道〔三悪道に堕せず〕、二には_生十方仏前〔十方の仏前に生ぜん〕、三には_所生之処。常聞此経〔所生の処には常に此の経を聞かん〕、四には若生人天中。受勝妙楽〔若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け〕、五には若在仏前。蓮華化生〔若し仏前にあらば蓮華より化生せん〕と也。
 然るに一切衆生、法性真如の都を迷ひ出でて、妄想顛倒の里に入りしより已来、身口意の三業になすところ、善根は少なく、悪業は多し。されば経文には_一人一日中八億四千念。念念中所作、皆是三途業〔一人一日の中に八億四千念あり。念念の中に作す所、皆是れ三途の業なり〕等云云。
 我等衆生、三界二十五有のちまたに輪回せし事、鳥の林に移るが如く、死しては生じ、生じては死し、車の場(には)に回るが如く、始め終わりもなく、死し生ずる悪業深重の衆生也。
 爰を以て心地観経に云く_有情輪回生六道 猶如車輪無始終 或為父母為男女 生生世世互有恩〔有情、輪回して六道に生ずること、なほ車輪の始終なきが如く、或は父母となり、男女となり、生生世世、互いに恩あり〕等云云。法華経二の巻に云く_三界無安 猶如火宅 衆苦充満〔三界は安きことなし 猶お火宅の如し 衆苦充満して〕等云云。
 涅槃経二十二に云く_菩薩摩訶薩観諸衆生為色香味触因縁故 従昔無量無数劫以来常受苦悩。一一衆生一劫之中所積身骨 如王舎城毘富羅山。所飲乳汁如四海水。身所出血多四海水。父母兄弟妻子眷属命終涕泣 所出目涙多四海水。尽地草木為四寸籌 以数父母亦不能尽。無量劫已来 或在地獄畜生餓鬼 所受行苦不可称計。亦一切衆生骸骨耶〔菩薩摩訶薩、諸の衆生を観るに、色・香・味・触の因縁のための故に、昔の無量無数劫より已来、常に苦悩を受く。一一の衆生、一劫の中に積む所の身の骨は、王舎城の毘富羅山の如く、飲むところの乳汁は、四海の水の如く、身より出だすところの血は、四海の水より多く、父母・兄弟・妻子・眷属の命終に鏖泣して出だすところの目涙は四大海の水より多し。地の草木を尽くして四寸のかづとりとなして、以て父母を数ふるに、また尽くすこと能わず。無量劫より已来、或は地獄・畜生・餓鬼に在りて受くるところの行苦、称計すべからず。また一切衆生の骸骨をや〕云云
 是の如く、いたづらに命を捨てるところの骸骨は、毘富羅山よりも多し。恩愛あはれもの涙は四大海の水よりも多けれども、仏法の為には一骨をもなげ(投)ず。一句一偈を聴聞して、一滴の涙をもおとさぬゆへに、三界の籠樊(ろうはん)を出でず、二十五有のちまたに流転する衆生にて候也。
 然る間、如何として三界を離るべきと申すに、仏法修行の功力に依て無明のやみはれて法性真如の覚りを開くべく候。
 さては仏法は何なるをか修行して生死を離るべきぞと申すに、但一乗妙法にて有るべく候。されば慧心僧都、七箇日加茂に参籠して、出離生死は何なる教えにてか候べきと祈請申され候ひしに、明神御託宣に云く 釈迦説教一乗留 諸仏成道在妙法 菩薩六度在蓮華 二乗得道在此経〔釈迦の説教は一乗に留まり、諸仏の成道は妙法に在り、菩薩の六度は蓮華に在り、二乗の得道は此の経に在り〕云云。
 普賢経に云く_此大乗経典。諸仏宝蔵。十方三世。諸仏眼目。出生三世諸如来種〔此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり〕
 此の経より外はすべて成仏の期有るべからず候上、殊更女人成仏の事は此の経より外は更にゆるされず。結句爾前の経にてはをびたゞしく嫌はれたり。
 されば華厳経に云く_女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉〔女人は地獄の使いなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て、内心は夜叉の如し〕。銀色女経に云く_三世諸仏眼堕落於大地 法界諸女人永無成仏期〔三世諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無し〕云云。
 或は又、女人には五障三従の罪深しと申す。其者(そは)内典には五障を明かし、外典には三従を教へたり。其の三従者、小くして父母に従ひ、盛んにしては夫に従ひ、老いては子に従ふ。一期身を心に任せず。
 されば栄啓期が三楽を歌ひし中にも、女人と生まれざるを以て一楽とす。
 天台大師云く_他経但記菩薩不記二乗。但記善不記悪。今経皆記〔他経は但菩薩に記して二乗に記せず。但男に記して女に記せず〕とて、全く余経には女人の授記これなしと釈せり。
 其の上、釈迦・多宝の二仏塔中に並坐し給ひし時、文殊、妙法を弘めん為に海中に入り給ひて、仏前に帰り参り給ひしかば、宝浄世界の多宝仏の御弟子智積菩薩は龍女成仏を難じて云く_我見釈迦如来。於無量劫。難行苦行。積功累徳。求菩薩道。未曾止息。観三千大千世界。乃至無有。如芥子許。非是菩薩。捨身命処。為衆生故〔我釈迦如来を見たてまつれば、無量劫に於て難行苦行し功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求むること未だ曾て止息したまわず。三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き許りも、是れ菩薩にして身命を捨てたもう処に非ることあることなし、衆生の為の故なり〕等云云。
 所謂、智積・文殊、再三問答いたし給ふ間は、八万の菩薩、万二千の声聞等、何れも耳をすまして御聴聞計りにて一口の御助言に及ばず。
 然るに智慧第一の舎利弗、文殊の事をば難ずる事なし。多くの故を以て龍女を難ぜらる。所以に女人は垢穢にして非是法器〔是れ法器に非ず〕と小乗権教の意を以て難ぜられ候ひしかば、文殊が龍女成仏の有無の現証は今仏前にして見え候べしと仰せられ候ひしに、案にたがはず、八歳の龍女蛇身をあらためずして仏前に参詣し、価値三千大千世界と説かれて候如意宝珠を仏に奉りしに、仏悦んで是れを請け取り給ひしかば、此の時、智積菩薩も舎利弗も不審を開き、女人成仏の路をふみわけ候。されば女人成仏の手本是れより起りて候。委細は五の巻の経文、之を読むべく候。
 伝教大師の秀句に云く ̄能化龍女無歴劫行 所化衆生無歴劫行。能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏〔能化の龍女、歴劫の行なく、所化の衆生も歴劫の行なし。能化所化倶に歴劫なし。妙法経力即身成仏〕。天台の疏に云く ̄智積執別教為疑 龍女明円釈疑 身子挟三蔵権難 龍女以一実除疑〔智積は別教に執して疑ひを為し、龍女は円を明かして疑ひを釈し、身子は三蔵の権を挟んで難じ、龍女は一実を以て疑ひを除く〕。海龍王経に云く_龍女作仏 国土号光明国 名号無垢証如来〔龍女、作仏し、国土を光明国と号し、名を無垢証如来と号す〕云云。-
 法華経已前の諸経の如きは、縦ひ人中天上の女人なりといふとも成仏の思ひ絶えたるべし。然るに龍女、畜生道の衆生として、戒緩の姿を改めずして即身成仏せし事は不可思議也。是れを始めとして、釈尊の姨母摩訶波闍波提比丘尼等、勧持品にして一切衆生喜見如来と授記を被り、羅ゴ羅の母耶輸陀羅女も眷属の比丘尼と共に具足千万光相如来と成り、鬼道の女人たる十羅刹女も成仏す。然れば尚ほ殊に女性の御信仰あるべき御経にて候。
 抑そも、此の経の一文一句を読み、一字一点を書く、尚ほ出離生死証大菩提の因也。然れば彼の字に結縁せし者、尚ほ炎魔の廳より帰され、六十四字を書きし人は其の父を天上へ送る。何に況んや阿鼻の依正は極聖の自心に処し、地獄天宮皆是果地如来也。〔地獄、天宮、皆是れ果地の如来なり〕鐐盧身土不逾凡下一念。遮那覚体不出衆生迷妄。妙文増霊山浄土 六万九千露点副紫磨金輝光〔鐐盧の身土は凡下の一念を逾えず。遮那の覚体も衆生の迷妄を出でず。妙文は霊山浄土に増し、六万九千の露点は紫磨金の輝光を副へ〕給ふべし。
 殊に過去聖霊は御存生の時より御信心、他に異なる御事なりしかば、今日依講経功力 仏前受生 登仏果菩提勝因〔今日、講経の功力に依て、仏前に生を受け、仏果菩提の勝因に登り〕給ふべし云云。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。

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