善星比丘は仏の菩薩たりし時の子なり。仏に随い奉り、出家して十二部経を受け、欲界の煩悩を壊りて四禅定を獲得せり。然りと雖も悪知識たる苦得外道に値い、仏法の正義を信ぜざるに依て出家の受戒十二部経の功徳を失い生身に阿鼻地獄に堕す。
<中略>
外道は五通を得て能く山を傾け海を竭すとも神通無き阿含経の凡夫に及ばず。
『守護国家論』
天竺・震旦は外道が仏法をほろぼし、小乗が大乗をやぶるとみえたり。
<中略>
外道が小乗経を破するは、外道の理は常住なり、小乗経の理は無常なり、空なり。故に外道が小乗経を破するは謗法となる。
『顕謗法鈔』
さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもってこれをやぶるべし。仏の印度にいでて外道をやぶり、まとうか・ぢくほうらんの震旦に来て道士をせめ、上宮太子和国に生まれて守屋をきりしが如し。
『南条兵衛七郎殿御書』
外道は常楽我浄と立てしかば、仏、世にいでまさせ給いては苦空無常無我ととかせ給いき。
『十章抄』
二には月氏の外道。三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天、此の二天をば一切衆生の慈父悲母、又天尊主君と号す。迦毘羅・・楼僧・{うるそうぎゃ}・勒娑婆、此の三人をば三仙となづく。此れ等は仏前八百年已前已後の仙人なり。此の三仙の所説を四韋陀と号す。六万蔵あり。乃至、仏出世に当て、六師外道此の外経を習伝して五天竺の王の師となる。支流九十五六等にもなれり。
一一に流流多くして、我慢の幢(はたほこ)高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。其の見の深きこと、巧みなるさま、儒家にはにるべくもなし。或は過去二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し、又兼ねて未来八万劫をしる。其の所説の法門の極理は、 ̄或は因中有果、或は因中無果、或は因中亦有亦無果等云云。此れ外道の極理なり。所謂、善き外道は五戒・十善戒等を持て、有漏の禅定を修し、上色・無色をきわめ、上界を涅槃と立て屈歩虫のごとくせめのぼれども、非想天より返て三悪道に堕つ。一人として天に留まるものなし。而れども天を極むる者は永くかえらずとおもえり。各々自師の義をうけて堅く執するゆえに、或は冬寒に一日に三度恒河に浴し、或は髪をぬき、或は巌に身をなげ、或は身を火にあぶり、或は五処をやく。或は裸形、或は馬を多く殺せば福をう、或は草木をやき、或は一切の木を礼す。
此れ等の邪義、其の数をしらず。師を恭敬する事諸天の帝釈をうやまい、諸臣の皇帝を拝するがごとし。しかれども外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。善師につかえては二生三生等に悪道に堕ち、悪師につかえては順次生に悪道に堕つ。外道の所詮は内道に入る、即ち最要なり。
或る外道云く ̄千年已後、仏出世す等云云。
或る外道云く ̄百年已後、仏出世す等云云。
大涅槃経に云く_一切世間外道経書皆是仏説非外道説〔一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず〕等云云。
<中略>
外典・外道の四聖三仙、其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫、其の名は賢なりといえども実に因果を弁えざる事嬰兒のごとし。
<中略>
例せば外典・外道等は仏前の外道は執見あさし。仏後の外道は仏教をききみて自宗の非をしり巧みの心出現して仏教を盗み取り、自宗に入れて邪見もっともふかし。附仏教・学仏法成等これなり。外典も又々かくのごとし。漢土に仏法いまだわたらざつし時の儒家・道家はゆうゆうとして嬰兒のごとくはかなかりしが、後漢已後に釈教わたりて対論の後、釈教ようやく流布する程に、釈教の僧侶破戒のゆえに、或は還俗して家にかえり、或は俗に心をあわせ、儒道の内に釈教を盗み入れたり。
止観の第五に云く ̄今世多有悪魔比丘退戒還家懼畏駆策更越済道士。復邀名利誇談荘老以仏法義偸安邪典押高就下摧尊入卑概令平等〔今の世に多く悪魔の比丘有って、戒を退き家に還り、駆策を懼畏して更に道士に越済す。復、名利を邀めて荘老を誇談し、仏法の義を以て偸んで邪典におき、高きを押して下きに就け、尊きを摧いて卑しきに入れ、概して平等ならしむ〕云云。
弘に云く ̄作比丘身破滅仏法。若退戒還家如衛元嵩等。即以在家身破壊仏法。○此人偸竊正教助添邪典。○押高等者○以道士心為二教概使邪正等。義無是理。曾入仏法偸正助邪押八万十二之高就五千二篇之下用釈彼典邪鄙之教名摧尊入卑〔比丘の身と作って仏法を破滅す。若しは戒を退き家に還るとは、衛の元嵩等が如し。即ち在家の身を以て仏法を破壊す。○此の人正教を偸竊して邪典を助添す。○押高等とは○道士の心を以て二教の概と為し邪正をして等しからしむ。義に是の理無し。曾て仏法に入って正を偸んで邪を助け、八万十二之高きを押して五千二篇之下きに就け、用て彼の典の邪鄙之教を釈するを摧尊入卑と名づく〕等云云。
<中略>
儒家の孝養は今生にかぎる。未来の父母を扶けざれば、外家の聖賢は有名無実なり。外道は過未をしれども父母を扶る道なし。仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ。
<中略>
外道の善悪は小乗経に対すれば、皆悪道。
『開目抄』
外道の法門は一千年八百年、五天にはびこりて、輪王より万民かうべ(頭)をかたぶけしかども、九十五種共に仏にやぶられたりき。
『聖密房御書』
外道は過去八万・未来八万を知る。一分の聖人也。小乗の二乗は過去未来の因果を知る。外道に勝れたる聖人也。
『聖人知三世事』
外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり。其の中に多くの智者神通のものありしかども、一人も生死をはなれず。又帰伏せし人々も、善につけ悪につけ皆三悪道に堕ち候ひしを、仏出世せさせ給ひてありしかば、九十五種の外道、十六大国の王臣諸民をかたらひて、或はのり、或はうち、或は弟子或はだんな等無量無辺ころせしかども、仏たゆむ心なし。我粉の法門を諸人にをどされていゐやむほどならば、一切衆生地獄に堕つべしとつよくなげかせ給ひしゆへに退する心なし。此の外道と申すは先仏の経々を見てよみそこなひて候ひしより事をこれり。
『三三蔵祈雨事』
外道には天人畜の三道を明かし、鬼道の有無之を論じて、地獄は其の沙汰無し。小乗経には六道の因果を明かして、四聖以て分明ならず。
『大学三郎御書』
外道が或は恒河を耳に十二年留め、或は大海をすひ(吸)ほし、或は日月を手ににぎり、或は釈子を牛羊となしなんどせしかども、いよいよ大慢ををこして、生死の業とこそなりしか。此をば天台云く ̄邀名利増見愛〔名利をもとめ見愛を増す〕とこそ釈せられて候へ。
『報恩抄』
外道に三人あり。一には仏法外の外道[九十五種之外道]・二には仏法成の外道[小乗]・三には附仏法之外道[妙法を知らざる大乗の外道也]。
『一代聖教大意』
釈迦如来所説の一切経の経律論五千四十八巻八十秩。天竺に流布すること一千年、仏の滅後、一千一十五年に当りて、震旦国に仏経渡る。後漢の孝明皇帝、永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝、開元十八年庚午に至るまで、六百六十四歳之間に一切経渡り畢んぬ。此の一切の経律論の中に小乗・大乗・権経・実経・顕教・密教あり。此れ等を弁ふべし。此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る。十方世界の一切衆生、一人も無く之を用ふべし。之を用ひざる者は外道と知るべき也。
『教機時国鈔』
仏を不孝の人と云ひしは九十五種の外道也。父母の命に背きて無為に入り、還りて父母を導くは孝の手本なる事、仏、其の証拠なるべし。彼の浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王外道の法に著して仏法に背き給ひしかども、二人の太子は父の命に背きて雲雷音王仏の御弟子となり、終に父を導きて娑羅樹王仏と申す仏になし申されけるは、不孝の人と云ふべき歟。
『聖愚問答鈔』
禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり。「是法住法位、世間相常住」の金言に背く僻見なり。禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住の法と云ふが故に外道の常見なり。若し与へて之を言はゞ仏の方便三蔵の分斉なり。若し奪つて之を言はゞ但外道の邪法なり。
『立正観抄』
九十五種の外道、阿含経の題目を聞てみな邪執を倒し、無常の正路におもむきぬ。
『曽谷入道殿御返事』
阿育大王は十万八千の外道を殺し給き。此等の国王比丘等は閻浮第一之賢王、持戒第一之智者也。
『秋元殿御書』
六師外道と申すは八百年以前に、二天、三仙等の説き置きたる四韋陀、十八大経を以てこそ師の名残とは伝へて候へ。
『内房女房御返事』
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