歎異抄こそ異端の書

最近は歎異抄や親鸞が新聞でもてはやされていますが、日蓮の「立正安国論」が一回も紹介されないことは嘆かわしいことです。世間の人は立正安国論をどう捉えているのでしょうか。「カルトだの」「過激な思想だの」「危険な教えだの」なんていう人がいますが、そういう人は未だに立正安国論と日蓮を正しく理解できていない輩です。

親鸞は師、法然の専修念仏の教えを発展させて、悪人正機や他力本願を主張し、念仏以外の仏道修行を閉ざしています。次の記事で説明しますが、悪人正機や他力本願の教えは親鸞自身の考えから来ており、経文を無視して仏説に基づいていません。

それに対し、立正安国論が歎異抄と異なる点は、日蓮自身の考えをほとんど述べずに、ただ経文に従って答えを導き出している点です。法然が弘めた念仏が仏意に背いていることを明かし、正法(法華経)を誹謗する悪人を処罰することを勧めて、国土の安穏を願いました。

釈尊は法華経を第一と称え、余経を持たずに法華経の名字を持つことを称讃されましたが、念仏宗の祖師たちは「法華経を捨てよ、閉じよ」と命じ、専ら弥陀の名号を唱えることを奨励しています。
これは釈尊や弥陀の意志に背く行為です。

日蓮は「法華経以外の経は末代の凡夫の機に合わず、必要無し」と定め、「法華経の題目を持て。大乗を誹謗する者を処罰せよ」と主張されました。
これは全て経文、即ち釈迦の言葉と合致しています。
繰り返しますが日蓮の教えは、日蓮自身の考えはほとんど述べられずに、釈迦の言葉に忠実に従って答えを導き出しているのです。
だから、他の祖師と比較して日蓮だけが釈尊の意志をそのまま受け継いでいるのです。

一体どこに日蓮が「カルトだの」「過激だの」「危険だの」に当てはまる箇所があるのでしょうか?安国論や日蓮に対して「カルトだ」「危険だ」なんていう人は、釈迦に向かってカルトだ、過激だ、と言っていることと一緒です。
持経者の日蓮を罵る罪を問えば、釈迦を罵るよりもひどいのです。

法華経を捨てることを命じ、持経者を群賊と罵り、仏経の勝劣に迷惑している念仏者こそ、よっぽど反釈迦・反仏教のカルトであり、危険な思想なのです。

歎異抄の「歎異」は異端を嘆く、という意味だそうですが、自分たちこそ経文を無視して勝手に念仏を弘め、法華経を捨てさせる異端であるということに気付いていないようですね。
真の異端は念仏者。正統な者は唱題者。これは、立正安国論、経典を忠実に読み進めていけば分かることです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました