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三大師(弘法・慈覚・智証)のまとめ(2)

弥源太入道殿御返事  文永十一年(1274)九月十七日別の事候まじ。憑み奉り候上は最後はこうと思しめし候え。河野辺かわのべ入道殿のこいしく候に、漸く後れ進らせて其のかたみと見まいらせ候わん。さるにても候えば如何が空しかるべきや。さこそ覚え候...
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伝教大師とは(2)

伝教大師筆尺牘(久隔帖)
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伝教大師とは(1)

撰時抄 建治元年(1275.06) 釈子 日蓮 述 其の後人王第五十代、像法八百年に相当て桓武天王の御宇に、最澄と申す小僧出来せり。後には伝教大師と号したてまつる。始めには三論・法相・華厳・倶舎・成実・律の六宗竝びに禅宗等を行表僧正等に習学...
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鳩摩羅什とは

月支より漢土に経論をわたす人、旧訳新訳に一百八十六人なり。羅什三蔵一人を除いてはいづれの人々も・(誤)らざるはなし。其の中に不空三蔵は殊に・(誤)り多き上、誑惑の心顕なり。  疑て云く 何をもつて知るぞや、羅什三蔵より外の人々はあやまりなり...
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龍樹・天親菩薩とは

龍樹菩薩は如来の滅後八百年に出世して十住毘婆沙等の権論を造りて華厳・方等・般若等の意を宣べ、大論を造りて般若・法華の差別を分かち、天親菩薩は如来の滅後九百年に出世して倶舎論を造りて小乗の意を宣べ、唯識論を造りて方等部の意を宣べ、最後に仏性論...
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提婆達多とは

仏は浄飯王の太子、提婆達多は斛飯王の子也。兄弟の子息同じく仏の御いとこ(従弟)にておわせしかども、今も昔も聖人も凡夫も人の中をたがえること、女人よりして起こりたる第一のあだにてはんべるなり。釈迦如来は悉達太子としておわしし時、提婆達多も同じ...
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天台大師とは

大夫志殿御返事 弘安三年(1280)小袖一・直垂三具・同じく腰三具等云云。小袖は七貫、直垂竝びに腰は十貫、已上十七貫文に当れり。  夫れ以みれば天台大師の御位を章安大師顕して云く 止観の第一に序分を引いて云く_安禅而化。位居五品。故経云 施...
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三大師(弘法・慈覚・智証)のまとめ

弘法・慈覚・智証等は皆仏意に違ふのみにあらず、或は法の盗人、或は伝教大師に逆らへる僻人也。故に或は閻魔王の責めを蒙り、或は墓墳無く、或は事を入定に寄せ、或は度度大火大兵に値へり。権者は恥辱を死骸に与へざるの本文に違するか。『大田殿許御書』日...
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慈覚大師とは(2)

慈覚大師事 弘安三年(1280.正・27)鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給了んぬ。  法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。  何よりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中三寸の眼二つ...
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慈覚・智証大師とは

日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取って、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山に悪義出来して終に王法尽きにき。此の悪義鎌倉に下って又日本国を亡ぼすべし。<中略>慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに、以箭射...