宗義

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唱題(南無妙法蓮華経)の意義について(4)

法華題目抄 文永三年(1266)   根本大師門人 日蓮 撰南無妙法蓮華経  問て云く 法華経の意もしらず、義理をもあじわわずして、只南無妙法蓮華経と計り五字七時に限って一日に一遍、一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても、軽重の悪...
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大乗と小乗について(2)

第三に大小乗を定むることを明かさば。  問て曰く 大小乗の差別、如何。  答て云く 常途の説の如きは阿含部の諸経は小乗也。華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗也。或は六界を明かすは小乗、十界を明かすは大乗也。其の外法華経に対して実義を論ずる...
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大乗と小乗について

小乗大乗分別鈔 文永十(1273)夫れ小乗大乗の定めなし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云い、五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う。外道の法に対しては一切の大小乗の仏教を皆大乗と云う。_大法東漸 通指仏教 以為大法等と釈する是れ也...
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唱題(南無妙法蓮華経)の意義について(3)

曾谷入道殿御返事(如是我聞鈔)   建治三年 五十六歳作    妙法蓮華経一部一巻小字経、御供養のために御布施に小袖二重・鵞目十貫・並に扇百本。  文句の一に云_如是とは所聞の法体を挙ぐと。記の一に云_若し超八の如是に非ずんば安んぞ此経の所...
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唱題(南無妙法蓮華経)の意義について(2)

四条金吾殿御返事(四条第十三書)     建治二年六月 五十五歳作     一切衆生南無妙法蓮華経と唱るより外の遊楽なきなり。経に云「衆生所遊楽」云云。此文あに自受法楽にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給べきや。所とは一閻浮提なり日本国は閻浮...
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摂受と折伏について

夫れ摂受折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。譬え...
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本尊について(2)

本尊問答鈔     弘安元年九月。五十七歳著。与浄顕房日仲書 問て云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。 答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。 問て云く、何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや。 答ふ、法華経の第四法師品...
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本尊について

然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ、法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。『善無畏鈔』大覚世尊は我等が尊主也。先づ御本尊と定むべし。『善無畏三蔵鈔(師恩報酬鈔)』日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈...
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本迹の法門(2)

委しく一代聖教の前後を検するに法華本門竝びに観心の智慧を起こさざれば円仏と成らず。 <中略> 迹門の大教起れば爾前の大教亡ぼし、本門の大教起れば迹門・爾前の亡ぼし、観心の大教起れば本迹・爾前共に亡ぼす。此れは是れ如来所説の聖教、従浅至深して...
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本迹の法門

法華経の迹門は月の如く、寿量品は日の如し。寿量品の時は迹門の月未だ及ばず。何に況んや爾前の星をや。夜は星の時も月の時も衆務を作さず。夜暁て必ず衆務を作す。爾前・迹門にして猶お生死を離れ難し。本門寿量品に至りて必ず生死を離るべし。 『薬王品得...