涅槃経について

問て云く 法華経と涅槃経と何れか勝れたる乎。
 答て云く 法華経勝るる也。
 問て曰く 何を以て之を知るや。
 答て曰く 涅槃経に自ら如法華中等と説いて更無所作と云う。法華経に当説を指して難信難解と云わざる故也。
 問て云く 涅槃経の文を見るに、涅槃経已前をば皆邪見なりと云う、如何。
 答て云く 法華経は如来出世の本懐なる故に_今者已満足_今正是其時_然善男子。我実成仏已来等と説く。但し諸経の勝劣に於ては、仏、自ら_我所説経典無量千万億なりと挙げ了って、_已説今説当説等と説く時、多宝仏地より涌現して皆是真実と定め、分身の諸仏は舌相を梵天に付けたもう。是の如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ。此の外、釈迦如来一仏の所説なれば、先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ず。故に涅槃経に諸経を嫌う中に法華経を入れず。法華経は諸経に勝るる由之を顕す故也。但し邪見之文に至っては、法華経を覚知せざる一類の人、涅槃経を聞いて悟りを得る故に迦葉童子の自身、竝びに所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云う也。経の勝劣を論ずるには非ず。
<中略>
 第二に法華・涅槃と浄土の三部経との久住不久住を明かさば。
 問て云く 法華・涅槃と浄土の三部経と何れが先に滅すべき乎。
 答て云く 法華・涅槃より已前に浄土の三部経は滅すべき也。
 問て云く 何を以て此れを知るや。
 答て云く 無量義経に四十余年の大部の諸経を挙げ了って未顕真実と云う。故に双観経等の特留此経之言、皆方便也、虚妄也。華厳・方等・般若・観経等の速疾歴劫の往生成仏は無量義経の実義を以て之を検べるに_過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提 乃至 行於険径。多留難故〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。乃至 険径を行くに留難多きが故に〕という経也。往生・成仏倶に別時意趣也。大集・双観経等の住滅の先後は皆随宜の一説也。法華経に来らざる已前は彼の外道の説に同じ。譬えば江河の大海に趣かず、民臣の大王に随わざるが如し。身を苦しめ行を為すとも法華・涅槃に至らずんば一分の利益無く、有因無果の外道なり
<中略>
法華経の流通たる涅槃経に云く_応以無上仏法付諸菩薩。以諸菩薩善能問答。如是法宝則得久住。無量千世増益熾盛利安衆生〔応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし。諸の菩薩は善能問答するを以てなり。是の如き法宝は則ち久住することを得。無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし〕[已上]。此れ等の文の如くば、法華・涅槃は無量百歳にも絶ゆべからざる経也
<中略>
法華・涅槃等には唯五逆・七逆・謗法の者を摂するのみに非ず、亦、定性・無性をも摂す。就中、末法に於ては常没の闡提之多し。豈に観経等の四十余年の諸経に於て之を扶くべけん乎。無性の常没・決定性の二乗は、但法華・涅槃等に限れり。四十余年の経に依る人師は彼の経の機を取る。此の人は未だ教相を知らざる故也。
<中略>
法華・涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く、法華・涅槃を信ずるは爪上の土の如し
<中略>
 答て曰く 末代に於て真実の善知識有り。所謂法華・涅槃是れ也。
 問て云く 人を以て善知識と為すは常の習い也。法を以て知識と為すの証有り乎。
 答て云く 人を以て知識と為すは常の習い也。然りと雖も末代に於ては真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り。摩訶止観に云く ̄或従知識 或従経巻 聞上所説一実菩提〔或は知識に従い、或は経巻に従い、上に説く所の一実の菩提を聞く〕[已上]。此の文の意は経巻を以て善知識と為すなり。
<中略>
 問て云く 日本国は法華・涅槃有縁の地なりや、否や。
 答て云く 法華経第八に云く_於如来滅後。閻浮提内。広令流布。使不断絶〔如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕。七の巻に云く_広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん〕。涅槃経第九に云く_此大乗経典大涅槃経亦復如是。為於南方諸菩薩故当広流布〔此の大乗経典大涅槃経も亦復是の如し。南方の諸の菩薩の為の故に当に広く流布すべし〕[已上経文]。三千世界広しと雖も仏自ら法華・涅槃を以て南方流布の所と定む。南方の諸国の中に於ては、日本国は殊に法華経の流布すべき処也。
 問て云く 其の証、如何。
 答て曰く 肇公の法華翻経後記に云く ̄羅什三蔵奉値須利耶蘇摩三蔵授法華経時語云 仏日西山隠遺耀照東北。茲典有縁東北諸国。汝慎伝弘〔羅什三蔵、須利耶蘇摩三蔵に値い奉りて法華経を授かる時の語に云く 仏日西山に隠れ遺耀東北を照らす。茲の典東北の諸国に有縁なり。汝、慎んで伝弘せよ〕[已上]。東北とは日本也。西南の天竺より東北の日本を指すなり。故に慧心の一乗要決に云く ̄日本一州円機純一 朝野遠近同帰一乗 緇素貴賎悉期成仏〔日本一州円機純一なり。朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賎悉く成仏を期す〕[已上]。願わくは日本国の今の世の道俗、選択集の久習を捨て、法華・涅槃の現文に依り、肇公・慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ。
<中略>
 第三に涅槃経は法華経流通の為に之を説きたもうを明かさば。
 問て云く 光宅の法雲法師竝びに道場の慧観等の碩徳は法華経を以て第四時の経と定め無常・熟蘇味と立つ。天台智者大師は法華・涅槃同味と立つると雖も亦・拾{くんじゅう}の義を存す。二師共に権化也。互いに徳行を具せり。何れを正と為して我等の迷心を晴らすべき乎。
 答て曰く 設い論師・訳者為りと雖も仏教に違して権実二教を判ぜずんば且く疑いを加うべし。何に況んや唐土の人師たる天台・南岳・光宅・慧観・智儼・嘉祥・善導等の釈に於てを乎。設い末代の学者為りと雖も依法不依人の義を存し、本経本論に違わば信用を加うべし。
 問て云く 涅槃経第十四巻を開きたるに五十年の諸大乗経を挙げて前四味を譬え、涅槃経を以て醍醐味に譬う。諸大乗経は涅槃経より劣ること百千万倍と定め了んぬ。其の上迦葉童子の領解に云く_我従今日始得正見。自此之前我等悉名邪見之人〔我今日より始めて正見を得たり。此れより之前は我等悉く邪見之人と名くと〕。此の文の意は涅槃経已前の法華等の一切衆典を皆邪見と云う也。当に知るべし、法華経は邪見之経にして未だ正見の仏性を明かさず。故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃との勝劣を定むる時、法華経を以て涅槃経に同じて、同じく第四時に摂したり。豈に正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為さん乎、如何。
 答て曰く 法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し。方便品に云く_今正是其時〔今正しく是れ其の時なり〕。寿量品に云く_毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身〔毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと〕。神力品に云く_以要言之。如来一切。所有之法 乃至 皆於此経。宣示顕説〔要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法 乃至 皆此の経に於て宣示顕説す〕[已上]。
 此れ等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くしたもう。其の上多宝竝びに十方の諸仏来集の庭に於て釈迦如来の已今当の語を証し法華経の如き経無しと定め了んぬ。而るに多宝諸仏本土に還るの後、但釈迦一仏のみ異変を存して還って涅槃経を説き法華経を卑しくせば、誰人之を信ぜん。深く此の義を存し、随って涅槃経の第九を見るに、法華経を流通して説いて云く_是経出世如彼菓実多所利益安楽一切 能令衆生見於仏性。如法華中八千声聞 得授記別成大菓実 如秋収冬蔵更無所作〔是の経の出世は、彼の菓実の一切を利益し安楽する所多きが如く、能く衆生をして仏性を見せしむ。乃至 法華の中の八千の声聞に記別を授けることを得て大菓実成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し〕。此の文の如くんば法華経若し邪見ならば涅槃経も豈に邪見に非ず乎。法華経は大収、涅槃経は・拾{くんじゅう}なりと見え了んぬ。涅槃経は自ら法華経に劣る之由を称す。法華経の当説之文敢えて相違無し。但し迦葉の領解竝びに第十四の文は法華経を下すの文に非ず。迦葉自身竝びに所化の衆、今始めて法華経の所説の常住仏性・久遠実成を覚る。故に我が身を指して此れより已前は邪見なりと云う。法華経已前の無量義経に嫌われる所の諸経を涅槃経に重ねて之を挙げて嫌う也。法華経を嫌うには非ざる也。
『守護国家論』

涅槃経の如くんば、設ひ五逆之供を許すとも、謗法之施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。
<中略>
法華・涅槃之経教は一代五時之肝心也。其の禁め実に重し。誰か帰仰せざらん哉。
『立正安国論』

涅槃経に云く_諸仏所師所謂法也。是故如来供養恭敬〔諸仏の師とする所は所謂法也。是の故に如来は供養恭敬す〕等云云。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給えり。
『祈祷鈔』

法華経一部八巻二十八品、進んでは前四味、退いては涅槃経等の一代諸経惣じて之を括るに但一経なり。始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分也。無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗也。涅槃経等は流通分也
『観心本尊抄』

 但涅槃経計こそ法華経に相似の経文は候へ。されば天台已前の南北の諸師は迷惑して、法華経は涅槃経に劣ると云云。されども専ら経文を開き見るには、無量義経のごとく華厳・阿含・方等・般若等の四十余年の経々をあげて、涅槃経に対して我がみ(身)勝るととひて、又法華経に対するときは_是経出世 乃至 如法華中八千声聞得授記・成大菓実 如秋収冬蔵更無所作〔是の経の出世は 乃至 法華の中の八千の声聞に記・を授けることを得て大菓実成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し〕等と云云。我と涅槃経は法華経には劣るととける経文なり。
<中略>
 問て云く 涅槃経の文には、涅槃経の行者は爪上の土等云云。汝が義には法華経等云云如何。
 答て云く 涅槃経に云く_如法華中〔法華の中の如し〕等云云。妙楽大師云く ̄大経自指法華為極〔大経自ら法華を指して極と為す〕等云云。大経と申すは涅槃経也。涅槃経には法華経を極と指して候なり。而るを涅槃宗の人の法華経に勝ると申せしは、主を所従といゐ下郎を上郎といゐし人なり。涅槃経をよむと申すは法華経をよむを申すなり。
『報恩抄』

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