三大師(弘法・慈覚・智証)のまとめ(2)

弥源太入道殿御返事  文永十一年(1274)九月十七日

別の事候まじ。憑み奉り候上は最後はこうと思しめし候え。河野辺かわのべ入道殿のこいしく候に、漸く後れ進らせて其のかたみと見まいらせ候わん。さるにても候えば如何が空しかるべきや。さこそ覚え候え。
 但し、当世は我も法華経をしりたりと人毎に申し候。時に法華経の行者はあまた候。但し、法華経と申す経は、転子病と申す病の様に候。転子と申すは親の様なる子は少なく候えども、この病は必ず伝わり候なり。例せば、犬の子は母の吠を伝え、猫の子は母の用を伝えて鼠を取る。
 日本国は六十六箇国・島二つ。其の中に仏の御寺は一万一千三十七所、其の内に僧尼或いは三千、あるいは一万、あるいは一千一百、あるいは十人、あるいは一人候えども、その源は弘法大師・慈覚大師・智証大師、此の三大師の御弟子にて候。山の座主・東寺・御室・七大寺の検校けんぎょう、園城寺の長吏、伊豆・箱根・日光・慈光等の寺々の別当等も、皆此の三大師の嫡々なり。此の人々は三大師の如く読むべし。
 其れこの三大師、法華経と一切経との勝劣を読み候いしには、弘法大師は法華経最第三、慈覚・智証は法華経最第二、或は戯論なんどこそ読み候しか。今又かくの如し。
 但し、日蓮が眼には僻目にてや候らん、法華経最第一、皆是真実と釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏は説いて証明せさせ給えり。此の三大師には水火の相違にて候。其の末を受くる人々、彼の跡を継いで彼の所領田畠を我が物とせさせ給いぬれば、いかに諍わせ給うとも、三大師の僻事ならば此の科遁れがたくやおわすらんと見え候えども、日蓮は怯弱の者にて候えば、かく申すことをも人御用いなし。されば、今日本国の人々の我も我も経を読むといえども、申す事用うべしとも覚えず候。
 是はさて置き候ぬ。御音信おんおとづれも候わねば、いかにと思いて候つるに、御使うれしく候。御所労の御平愈の由うれしく候、うれしく候。なお仰せを蒙るべく候。恐々謹言。

  九月十七日    日蓮 花押

 弥源太入道殿御返事

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