第三に大小乗を定むることを明かさば。
問て曰く 大小乗の差別、如何。
答て云く 常途の説の如きは阿含部の諸経は小乗也。華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗也。或は六界を明かすは小乗、十界を明かすは大乗也。其の外法華経に対して実義を論ずる時、法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして、法華経は大乗也。
問て云く 諸宗に互って我が所拠の経を実大乗と謂い、余宗所拠の経を権大乗と云うこと常の習い也。末学に於て是非定め難し。未だ法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文を聞知せず、如何。
答て云く 宗宗の立義、互いに是非を論ず。就中、末法に於て世間・出世に就いて非を先とし是を後とす。自ら是非を知らず、愚者の歎ずべき所也。但し且く我等が智を以て四十余年の現文を看るに、此の文を破る文無ければ人の是非を信用すべからざる也。其の上法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは自答を存ずべきに非ず。法華経の方便品に云く_仏自住大乗 乃至 自証無上道 大乗平等法 若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪 此事為不可〔仏は自ら大乗に住したまえり 乃至 自ら無上道 大乗平等の法を証して 若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば 我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり〕と。此の文の意は、法華経より外の諸経を皆小乗と説ける也。亦、寿量品に云く_楽於小法〔小法を楽える〕と。此れ等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説ける也。天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも、他師、之を許すべからず。故に但経文を出す也。
『守護国家論』
凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。
『立正安国論』
問て云く 諸の小乗経に仏を無常と説かるる上、又所化の衆皆無常と談じき。若し爾らば、仏竝びに所化の衆の舌堕落すべしや。
答て云く 小乗経の仏を小乗経の人が無常と説き談ずるは、舌ただれざるか。大乗経に向かって仏を無常と談じ、小乗経に対して大乗経を破するが、舌は堕落するか。此れをもておもうに、おのれが依経には随えども、すぐれたる経を破するは破法となるか。若し爾らば、設い観経・華厳経等の権大乗経の人々、所依の経の文の如く修行すとも、かの経にすぐれたる経々に随わず、又すぐれざる由を談ぜば、謗法となるべきか。されば観経等の経の如く法をえたりとも、観経等を破せる経の出来したらん時、其の経に随わずば破法となるべきか。小乗経を以てなぞらえて心うべし。
<中略>
問て云く 天竺・震旦は外道が仏法をほろぼし、小乗が大乗をやぶるとみえたり。此の日本国もしかるべきか。
答て云く 月支・支那には外道あり、小乗あり。此の日本国には外道なし、小乗の者なし。紀典博士等これあれども、仏法の敵となるものこれなし。小乗の三宗これあれども、彼の宗を用て生死をはなれんとおもわず。但大乗を心うる才覚とおもえり。但し、此の国には大乗の五宗のみこれあり。人々皆おもえらく、彼の宗々にして生死をはなるべしをおもう故に、あらそいも多くいできたり、又檀那の帰依も多くあるゆえに、利養の心もふかし。
<中略>
小乗経には無為涅槃の理が王なり。小乗の戒定等に対して智慧は王なり。諸大乗経には中道の理が王なり。
<中略>
小乗経は多しといえども、同じ苦・空・無常・無我の理なり。
<中略>
小乗経の理は無常なり、空なり。故に外道が小乗経を破するは謗法となる。大乗経の理は中道なり。小乗経は空なり。小乗経の者が大乗経をはするは謗法となる。大乗経の者が小乗経をはするは破法とならず。諸大乗経の理は未開会の理、いまだ記小・久成これなし。法華経の理は開会の理、記小・久成これあり。諸大乗経の者が法華経を破するは謗法となるべし。法華経の者の諸大乗経を謗するは謗法となるべからず。
『顕謗法鈔』
仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもってやぶるべし。無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもってこれをやぶるべし。天台智者大師の南三北七をやぶりしが如し。
『南条兵衛七郎殿御書』
日本国は一向大乗の国、大乗の中の一乗の国なり。華厳・法相・三論等の諸大乗すら猶お相応せず。何に況んや小乗の三宗をや。
『十章抄』
日本国は大乗に五宗あり。法相・三論・華厳・真言・天台。小乗に三宗あり。倶舎・成実・律宗なり。真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども、くわしく論ずれば皆小乗なり。宗と申すは戒定慧の産学を備へたる物なり。其の中に定慧はさてをきぬ。戒をもて大小のばうじ(片+旁 示)をうちわかつものなり。東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに、東大寺に入りて小乗律宗の驢乳臭糞の戒を持つ。戒を用つて論ぜば此れ等の宗は小乗の宗なるべし。
『聖密房御書』
法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には成仏往生をゆるすようなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏なり。挙一例諸と申して龍女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし。
<中略>
外道の善悪は小乗経に対すれば、皆悪道。小乗の善道、乃至、四味三教は、法華経に対すれば、皆邪悪。但法華のみ正善也。
『開目抄』
我が滅後の一切衆生は皆我が子也。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ病に随て薬をさづくる事なれば、我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもて一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・龍樹菩薩・天親菩薩等華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさずけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経竝びに大乗経竝びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。
『高橋入道殿御返事』
設ひ一向に小乗流布の国には大乗をば弘通する事はあれども、一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ(忌)事也。しゐてこれを弘通すれば国もわづらひ、人も悪道まぬがれがたし。又初心の人には二法を竝べて修行せしむる事をゆるさず。月支の習ひには、一向小乗の寺の者は王路を行かず、一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし。井の水河の水同じく飲む事なし。何に況んや一房に栖みなんや。
『下山御消息』
謗法は多種也。大小流布の国に生まれて一向に小乗の法を学して身を治め、大乗に還らざるは、是れ謗法也。亦華厳・方等・般若等の諸大乗経を習へる人も、諸経と法華経と等同之思ひを作し、人をして等同の義を学ばしめ、法華経に還らざるは、是れ謗法也。
『十法界明因果鈔』
阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等之諸大乗経より出でたり。法華経には一向に小乗を説きて法華経を説かざれば慳貪に堕すべしと説きたまふ。涅槃経には一向に小乗経を用ひて仏を無常なりと云はん人は、舌、口中に爛るべしと云云。
<中略>
先に小乗・権大乗弘まらば、後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば、後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てて金珠を取るべし。金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ
『教機時国鈔』
小乗経と申す経は世間の小船のごとく、わづかに人の二人三人等は乗れども百千人は乗せず。設ひ二人三人等は乗れども此岸につけ(著)て彼岸へは行がたし。又すこしの物をば入るれども大なる物をば入れがたし。大乗と申すは大船也。人も十、二十人も乗る上大なる物をもつみ、鎌倉よりつくし(筑紫)、みち(陸奥)の国へもいたる。実経と申すは又彼大船の大乗経にはにるべくもなし。大なる珍宝をもつみ、百千人のりてかうらい(高麗)なんどへもわたりぬべし。一乗法華経と申す経も又如是。
『乙御前御消息』
正法をひろむる事は必ず智人によるべし。故に釈尊は一切経をとかせ給て小乗経をば阿難、大乗経をば文殊師利、法華経の肝要をば一切の声聞、文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授させ給き。
『四条金吾殿御返事』
正法一千年之間は小乗・権大乗也。機時共に之無し。四依の大士、小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ。
『観心本尊抄』
小乗経には六道の因果を明かして、四聖以て分明ならず。倶舎・成実・律の三宗は小乗経に依憑して但六道を明かす、是れ也。
『大学三郎御書』
天親菩薩は先に小乗の説一切有部の人、倶舎論を造りて阿含十二年の経の心を宣べて、一向に大乗の義理を明かさず。次に十地論・摂大乗論・釈論等を造りて四十余年の権大乗の心を宣べ、後に仏性論・法華論等を造りて粗実大乗の義を宣べたり。龍樹菩薩も亦然也。
『唱法華題目鈔』
仏の小乗経には十方に仏なし、一切衆生に仏性なしととかれて候へども、大乗経には十方に仏まします。一切衆生に仏性ありととかれて候へば、たれか小乗経を用候べき。皆大乗経をこそ信じ候へ。
『上野殿御返事』
阿含経は外道の経に対すれば大乗経。華厳、般若、大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経也。法華経に勝れたる経なき故に一大乗経也。
『千日尼御前御返事』
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