女人往生鈔 文永二年
第七の巻に後五百歳二千余年の女人の往生を明かす事を云はば、釈迦如来は十九にして浄飯王宮を出で給ひて、三十の御年成仏し、八十にして御入滅ならせ給ひき。三十と八十との中間を数ふれば年紀五十年也。其の間、一切経を説き給ひき。何れも皆、衆生得度の御ため無虚妄の説、一字一点もおろかなるべからず。又、凡夫の身として是れを疑ふべきにあらず。
但し、仏説より事起こりて、小乗・大乗、権大乗・実大乗、顕教・密教と申す名目、新たに出来せり。一切衆生には皆成仏すべき種備はれり。
然りと雖も、小乗経には此の義を説き顕さず。されば仏、我ととかせ給ふ経なれども、諸大乗経には多く小乗経を嫌へり。又、諸大乗経にも法華以前の四十余年の諸大乗経には、一切衆生に多分仏性の義をば許せども、又、一類の衆生には無仏性の義を説き給へり。一切衆生多分仏性の義は巧みなれども、一流医務仏性の義がつたなき故に、多分仏性の巧みなる言も、又、拙き言と成りぬべし。
されば涅槃経に云く_雖信衆生是仏性有 不必一切皆悉有之。是故名為信不具足〔衆生にこの仏性ありと信ずと雖も、必ずしも一切皆悉くこれあらず。是の故に名づけて信不具足となす〕等云云。此の文の心は、一切衆生に多分仏性ありと説けども、一類に無しと説かば、所化の衆生は闡提の人と成るべしと云ふ文也。四十余年の衆生は三乗・五乗、倶に闡提の人と申す文也。
されば仏、無量義経に四十余年の諸経を結して云く_四十余年未顕真実文。されば智者は且く置く、愚者に於ては且く四十余年の御経をば仰ぎて信をなして置くべし。法華経こそ正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕、妙法華経 皆是真実と釈迦・多宝の二仏、定めさせ給ふ上、諸仏も座に列なり給ひて舌を出させ給ひぬ。一字一文、一句一偈也とも信心を堅固に発して疑ひを成すべからず。
其の上、疑ひを成すならば、生疑不信者即当堕悪道〔疑いを生じて信ぜざらん者ば即ち当に悪道に堕すべし〕。若人不信 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と、無虚妄の御舌をもて定めさせ給ひぬれば、疑ひをなして悪道におちては何の詮か有るべきと覚ゆ。
されば二十八品何れも疑ひなき其の中にも、薬王品の後五百歳の文と勧発品の後五百歳の文とこそ、殊にめづらしけれ。勧発品には此の文三処にあり。一処には後五百歳に法華経の南閻浮提に可流布由〔流布すべき由〕を説かれて候。一処には後五百歳の女人の法華経を持ちて、大通智勝仏の第九の王子、阿弥陀如来の浄土、久遠実成の釈迦如来の分身の阿弥陀の本門同居の浄土に往生すべき様を説かれたり。
抑そも仏には偏頗御坐すまじき事とこそ思ひ侍るに、後五百歳の男女ならば男女にてこそ御坐すべきに、余処に後五百歳の男女、法華経を持ちて往生成仏すべき由の委細なるに、重ねて後五百歳の女人の事を説かせ給へば、女人の御為にはいみじく聞こゆれども、断師の疑ひは尚ほある歟と覚える故に、仏には偏頗のおわするかとたのもしくなき辺もあり。旁、疑はしき事也。
然りと雖も力及ばず。後五百歳二千余年已後の女人は法華経を行じて、阿弥陀仏の国に往生すべしとこそ御覧じ侍りけめ。
仏は悉達太子として御坐ししが十九の御出家也。三十の御年に仏に成らせ給ひしたりしかば、迦葉等の大徳通力の人人千余人付けまいらせたりしかども、猶ほ五天竺の外道、怨み奉りてあやうかりしかば、浄飯大王おほせありしやうは、悉達太子をば位を譲り奉りて転輪聖王と仰ぎ奉らんと思し召ししかども、其の甲斐もなく出家して仏となり給ひぬ。今は又、人天一切衆生の師と成らせ給ひぬれば、我一人の財にあらず。一切衆生の眼目也。
而るを外道に云ひ甲斐なくあやまたせ奉る程ならば侮るとも甲斐なけん。されば我を我と思はん一門の人人は出家して仏に付き奉れと仰せありしかば、千人の釈子出家して仏に付き奉る。千人の釈子一一に浄飯王宮にまひり、案内を申して御門を出で給ひしに、九百九十八人は事ゆへなく御門の橋を打ち渡りき。提婆達多と瞿伽利とは橋にして馬倒れ冠ぬげたりき。相人之を見て、此の二人は仏の聖教の中利益あるべからず。還りて仏教によて重罪を造りて阿鼻地獄に堕つべしと相したりき。
又、震旦国には周の第十三、平王の御宇に、かみをかうふり、身赤裸なる者出で来れり。相人、相して云く 百年に及ばざるに、世、将に亡びなんと。此れ等の先相に寸分も違はず。遂に瞿伽利、現身に阿鼻地獄に提婆と倶に堕ち、周の世も百年の内に亡びぬ。此れ等は皆仏教の智慧を得たる人は一人もなし。但、二天・三仙・六師と申す外典、三皇五帝等の儒家共也。三惑一分も断ぜず、五眼の四眼既に欠けて但肉眼計り也。一紙の外をもみず、一法も推し当てん事難かるべし。然りと雖も、此れ等の事、一分も違はず。
而るに仏は五重の煩悩の雲晴れ、五眼の眼曇無く、三千大千世界・無量世界・過去未来現在を掌の中に照知照見せさせ給ふが、後五百歳の南閻浮提の一切の女人、法華経を一字一点も信じ行ぜば、本地同居の安楽世界に往生すべしと、知見し給ひける事の貴く憑敷(たのもしき)事云ふ計りなし。
女人の御身として漢の李夫人・楊貴妃・王昭君・小野小町・和泉式部と生まれさせ給ひたらんよりも、当世の女人は喜ばしかるべき事也。彼等は寵愛の時にはめづらしかりしかども一期は夢の如し。当時は何れの悪道にか侍らん。彼の時は世はあがり(上代)たりしかども、或は仏法已前の女人、或は仏法の最中なれども後五百歳の已前也。仏の指し給はざる時なれば覚束なし。
当世の一切の女人は仏の記し置き給ふ後五百歳二千余年に当たりて是れ実の女人往生の時也。例せば冬は氷乏しからず。春は花珍しからず。夏は草多く、秋は菓多し。時節此の如し。当世の女人往生も亦此の如し。貪多く、愚多く、慢多く、嫉多きを嫌はず。何に況んや過無からん女人をや。
問て云く 内外典の詮を承るに道理には過ぎず。されば天台釈して云く ̄明者貴其理 暗者守其文〔明者は其の理を貴び、暗者は其の文を守る〕文。釈の心はあきらかなる者は道理をたつとび、くらき者は文をまもると会せられて侍り。さればこそ此の後五百歳若有女人の文は、仏説なれども心未だ顕れず。其の故は正法千年は四衆倶に持戒也。故に女人は五戒を持ち、比丘尼は五百戒を持ちて、破戒無戒の女人は市の中の虎の如し。像法一千年には破戒の女人、比丘尼、是れ多く、持戒の女人は、是れ希也。末法に入りては無戒の女人、是れ多し。されば末法の女人いかに賢しと申すとも、正法・像法の女人には過ぐべからず。又、減劫になれば日日に貪瞋癡増長すべし。貪瞋癡強盛なる女人を法華経の機とすべくは末法万年等の女人をも取るべし。貪瞋癡微薄なる女人をとらば正像の女人をも取るべし。今とりわけて後五百歳二千余年の女人を仏の記させ給ふ事は第一の不審也。
答て云く 此の事第一の不審也。然りと雖も、試みに一義を顕すべし。夫れ仏と申すは大丈夫の相を具せるを仏と名づく。故に女人には大丈夫の相無し。されば諸小乗経には多分は女人成仏を許さず。少分成仏往生を許せども、又、有名無実也。然りと雖も、法華経は九界の一切衆生、善悪・賢愚・有心無心・有性無性・男子女人、一人も漏れなく成仏往生を許さる。然りと雖も、経文、略を存する故に、二乗作仏、女人・悪人の成仏、久遠実成等をこまやかに説きて、男子・善人・菩薩等の成仏をば委細にあげず。人此れを疑はざる故歟。然るに在世には仏の威徳の故に成仏やすし。仏の滅後には成仏は難く往生は易かるべし。然りと雖も、滅後には二乗少なく善人少なし。悪人のみ多かるべし。悪人よりも女人の生死を離れん事かたし。然りと雖も、正法一千年の女人は像法・末法の女人よりも少なし、なをざりなるべし。諸経の機たる事も有りなん。像法の末、末法の始めよりの女人は殊に法器にあらず。諸経の力及ぶべからず。但、法華経計り助け給ふべし。
故に次ぎ上の文に十喩を挙ぐるに、川流江河の中には大海第一、一切の山の中には須弥山第一、一切の星の中には月天子第一、衆星と月との中には日輪第一等とのべて千万億の已今当の諸経を挙げて江河・諸山・衆星等に譬へて、法華経をば大海・須弥・日月等に譬へ、此の如く讃め已りて殊に後五百歳の女人に此の経を授け給ひぬるは、五濁に入り、正像二千年過ぎて末法の始めの女人は殊に諂曲なるべき故に、諸経の力及ぶべからず、諸仏の力も又及ぶべからず。但、法華経の力のみ及び給ふべき故に、後五百歳の女人とは説かれたる也。されば当世の女人は法華経を離れては往生協ふべからざる也。
問て云く 双観経に法蔵比丘の四十八願の第三十五に云く ̄設我得仏十方無量不可思議諸仏世界其有女人 聞我名字歓喜信楽発菩提心厭悪女身 寿終之後復為女像者不取正覚〔たとひ我仏を得たらむに、十方無量不可思議の諸仏の世界に、それ女人有りて、我が名字を聞きて、歓喜、信楽して菩提心を発し、女身を厭悪せんに、寿終の後、復、女のかたちとならば、正覚を取らじ〕文。
善導和尚の観念法門に云く_乃由弥陀本願力故 女人称仏名号正命終時 即転女身得成男子。弥陀接手菩薩扶身 坐宝華上随仏往生 入仏大会証悟無生〔すなわち弥陀の本願力によるが故に、女人、仏の名号を称へば正しく命終の時、即ち女身を転じて男子と成ることを得。弥陀は、手に接し、菩薩は身を扶け、宝華の上に坐して、仏に随て往生し、仏の大会に入りて無生を証悟せん〕文。
又云く_一切女人若不因弥陀名願力者 千劫万劫恒河沙等劫 終不可転得女身〔一切の女人、もし弥陀の名願力によらざれば、千劫、万劫、恒河沙等の劫にも、ついに女身を転じ得べからず〕等文。
此の経文は弥陀の本願に依て女身は男子と成りて往生すべしと見えたり。又善導和尚の不因弥陀名願力者等の釈は弥陀の本願によらずは女人の往生有るべからずと見えたり。以何。
答て云く 双観経には女人往生の文は有りといへども、法華経に説かるゝところの川流江河の内、或は衆星の光なり。末代後五百歳の女人、弥陀の願力に依て往生せん事は、大石を小船に載せ、大冑(おほよろひ)を弱兵に着せたらんが如し。
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