法華経第七に云く_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。従何所来 ~ 或以。杖木瓦石。而打擲之 乃至 千劫於阿鼻地獄。受大苦悩〔四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く 是の無知の比丘、~ 或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば 乃至 千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く〕等云云。
此の経文の心は、法華経の行者を悪口し、及び杖を以て打擲せるもの、其の後に懺悔せりといえども、罪いまだ滅せずして、千劫阿鼻地獄に堕ちたり、と見えぬ。懺悔する謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法においては、阿鼻地獄を出る期かたかるべし。
『顕謗法鈔』
而るを此の五十余年に法然という大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をもって珠を投げさせ石をとらせたる也。止観の五に云く ̄瓦礫を貴んで明珠なり、と申すは是れ也。一切衆生石をにぎりて珠とおもう。念仏を申して法華経をすてたる是れ也。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をます也
<中略>
されば日蓮は日本第一の法華経の行者也。もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子也、となのらせ給え。
『南条兵衛七郎殿御書』
心には法華経の行者と存すとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とおもうべし。
<中略>
先ず世間の上下万人云く 八幡大菩薩は正直の頂にやどり給う、別のすみかなし等云云。世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず。又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはおわしませ。法華経の行者なければ大菩薩の御すみかおわせざるか。但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候え。
『法門可被申様之事』
法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも、南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり。
<中略>
又南無妙法蓮華経と申す人をば、いかなる愚者も法華経の行者とぞ申し候わんずらん。
『十章抄』
日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。
<中略>
諸の声聞、法華をはなれさせ給いなば、魚の水をはなれ、猿の木をはなれ、小兒の乳をはなれ、民の王をはなれたるがごとし。いかでか法華経の行者をすて給うべき。
<中略>
予事の由をおし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をばその経々の仏・菩薩・天等守護し給うらん。疑いあるべからず。但し大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし。例せば孝子、慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる。孝の至り也。
<中略>
日蓮案じて云く 法華経の二処三会の座にましましし日月等の諸天は、法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく、月の水に遷るがごとく、須臾に来て行者に代わり、仏前の御誓をはたさせ給うべしとこそおぼえ候に、いままで日蓮をとぶらい(訪)給わぬは、日蓮法華経の行者にあらざるか。されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて身の失をしるべし。
<中略>
法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし。三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。一眼の亀の浮木に値うなるべし。
<中略>
法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し〕等云云。
仏は小指を提婆にやぶられ、九横の大難に値い給う。此れは法華経の行者にあらずや。
『開目抄』
仏陀記して云く 後五百歳 有法華経行者 為諸無智者 必被悪口罵詈 刀杖瓦石 流罪死罪〔後の五百歳に法華経の行者有りて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・流罪死罪せられん〕等云云。日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏未来記は大虚妄に当る也。
『真言諸宗違目』
今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申て教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。
『日妙聖人御書』
されば法華経の行者の祈る祈りは、響きの音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。
<中略>
提婆達多、仏になり給わば、語らわれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん。是れ偏に法華経の恩徳也。されば提婆達多竝びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住ませ給うらめとたのもし。
<中略>
大地はささばはずるるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなわぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一つも来たりてまもり給わぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなずり奉り、下は九界をたぼらかす失あり。行者は必ず不実なりとも智慧はおろかなりとも、身は不浄なりとも、戒徳は備えずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護したもうべし。
『祈祷鈔』
仏教に依て悪道に堕する者大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者爪上の土よりも少なし。此の時に当りて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の心身に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時也。
爾りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執を捨て、実大乗の法華経に帰せば、諸天善神竝びに地涌千界等の菩薩、法華経の行者を守護せん。此の人は守護之力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか。
<中略>
疑て云く 何を以て之を知る、汝を末法之初めの法華経の行者と為すことを。
答て云く 法華経に云く_況滅度後〔況んや滅度の後をや〕。又云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん〕。又云く_数数見擯出〔数数擯出せられ〕。又云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。又云く_悪魔魔民。諸天龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也〔悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ〕等云云。此の明鏡に付けて仏語を信ぜしめんが為に日本国中の王臣四衆の面目に引き向へたるに、予より之外には一人も之無し。時を論ずれば末法の初め一定也。然る間、若し日蓮無くんば、仏語虚妄と成らん。
『顕仏未来記』
第六天の魔王、十軍のいくさをおこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居・穢土をとられじ、うばはんとあらそう。日蓮其の身にあたりて、大兵をおこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし。しかりといえども、弟子檀那等の中に臆病のもの、大体或はおち、或は退転の心あり。
『弁殿御前御書』
末法に入て法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。
<中略>
法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当れり。
『法華行者値難事』
後五百歳は誰人を以て法華経の行者と之を知るべきや。予は未だ我が智慧を信ぜず。然りと雖も自他の返逆侵逼、之を以て我が智を信ず。敢えて他人の為に非ず。又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是れ法華経の行者也。不軽の跡を紹継する之故に。軽毀する人は頭七分に破れ信ずる者は福を安明に積まん。
『聖人知三世事』
法華経の行者は一切之諸人に勝れたる之由、之を説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民也。法華経の行者は須弥山・日月・大海等也。
『大田殿許御書』
一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星燈炬のごとしと申す事を、詮と思しめされて候。なにをもんてこれをしるとならば、第八の譬への下に一の最大事の文あり。所謂此の経文に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。此の二十二字は一経第一の肝心なり。一切衆生の目也。文の心は法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は、衆星・江河・凡夫のごとしととかれて候経文也。
<中略>
又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば、常の法華経の行者にては候はぬにはんべり。
『四条金吾殿御女房御返事』
なによりもなげかしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値ふをすてさせ給ひて、現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく、雨の空より下るごとく、_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と無間大城に堕ち給はん事こそ、あわれにはをぼへ候へ。
『神国王御書』
法華経を信ずる人のおそるべきものは、俗人・強盗・夜打つ・虎・狼・師子等よりも、当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人々なり。
『兄弟鈔』
コメント