問て云く 末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕ちるや。
答て云く 法華経の第二に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん〕等云云。此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり。其の炎魔王宮より下一千五百由旬が間に、八大地獄竝びに一百三十六の地獄あり。其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処、八大地獄は重罪の者の住処なり。八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり。第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処也。今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈誹謗せん人々はおつべしと説き給える文なり。
<中略>
是れ程に貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合わせ両眼を仏の御顔にあて、頭を低れて他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水をおもい、飢えて食を思うがごとく、間無く供養し奉る功徳よりも、戯論に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万倍すぐべしと説き給いて候。これを妙楽大師は ̄福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり。
『法蓮鈔』
法華経の行者に二人あり。聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただひとつきて候かたびらなどを、法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさめさせ給ふなり。
『さじき女房御返事』
日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。
<中略>
法華経の第五の巻に云く_此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり〕等云云。此の経文に最在其上の四字あり。されば此の経文のごときんば、法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。
『撰時抄』
法華経第四法師品に云く_有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。
『国府尼御前御書』
第一には日天朝に東に出で給ふに、大光明を放ち天眼を開いて南閻浮提を見給ふに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼いからして其の国をにらみ給ふ。始終用ひずして国の人にくめば、其の故と無くいくさをこり、他国より其の国を破るべしと見へて候。
『松野殿御消息』
諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば、必ず国もほろび、地獄へ入り候なり。
『宝軽法重御書』
小失なくとも大難に度々値ふ人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候わめ。
<中略>
仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、日本に一人、已上二人。釈尊を加へ奉りて已上三人なり。外典に云く 聖人は一千年に一(ひとたび)出て、賢人は五百年に一出づ。黄河は・(けい)・渭(い)ながれをわけて、五百年には半河すみ、千年は共に清む、と申すは一定にて候けり。
『報恩抄』
法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と、此れ等の諸人を指しつめて其人命終 入阿鼻獄と定めさせ給ひし也。
『下山御消息』
鬼神に二つあり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。
<中略>
設ひ法華経に値ひ奉るとも、末代の凡夫法華経の行者には値ひがたし。何ぞなれば末代の法華経の行者は、法華経を説かざる華厳・阿含・方等・般若大日経等の千二百余尊よりも、末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く ̄有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分〔供養すること有る者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は、頭七分に破れん〕等云云。
『日女御前御返事』
法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障べきにて候。十境の中の魔境此れ也。魔の習ひは善を障へて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候。
『富木入道殿御返事』
法華経の行者はいやしけれども、守護する天こわし。例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる、犬が師子をほゆればはらわたくさる。
『随自意御書』
而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者也。其の人を罰せざる守護神は、一切の人天の眼をくじる者を結構し給ふ神也。
『諌曉八幡抄』
法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と、相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。
『大夫志殿御返事』
末法には法華経の行者必ず出来すべし。但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし。火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや。大海へ衆流入る、されども大海は河の水を返す事ありや。法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども、かへす事、とがむる事なし。諸河の水入る事なくば大海あるべからず。大難なくば法華経の行者にはあらじ。
『椎地四郎殿御書』
三類の敵人を顕さずんば、法華経の行者に非ず。之を顕すは法華経の行者也。
『教機時国鈔』
方便品に云く_是法住法位 世間相常住〔是の法は法位に住して 世間の相常住なり〕云云。世間のならひとして三世常恒の相なれば、なげくべきにあらず、をどろくべきにあらず。相の一字は八相なり。八相も生死の二字をいでず。かくさとるを法華経の行者の即身成仏と申す也。
『上野殿後家尼御返事』
法華経第八陀羅尼品に云く_汝等但能擁護。受持法華名者。福不可量〔汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず〕。此の文の意は、仏、鬼子母神・十羅刹女の法華経の行者を守らんと誓ひ給ふを読むるとして、汝等、法華の首題を持つ人を守るべしと誓ふ。其の功徳は三世了達の仏の智慧も尚ほ及び難しと説かれたり。
『聖愚問答鈔』
其れに付けて法華経の行者は身心に退転無く、身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布之大願をも成就すべき也。
『祈祷経送状』
過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはね(刎)られ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ(憎)給へり。此等の仏、菩薩、大聖等は法華経の行者として、而も大難にあひ給へり。此等の人人を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。
『如説修行鈔』
法華経の行者は火と求羅との如し、薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来也。
『四条金吾殿御返事(此経難持)』
経に勝劣あるのみならず、大日経の一切の真言師と法華経の行者とを合すれば、水に火をあはせ露と風とを合するが如し。犬は師子をほうれ(吠)ば腹さくる、脩羅は日輪を射奉れば頭七分に破る。一切の真言師は犬と脩羅との如く、法華経の行者は日輪と師子との如し。氷は日輪の出ざる時は堅き事金の如し。
『乙御前御消息(与日妙尼書)』
末法の法華経の行者は、人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす。
『法華初心成仏鈔』
涅槃経に云く「大地の上に針を立てて大風の吹かん時、大梵天より糸を下さんに糸のはし(端)すぐ(直)に下りて針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし」。
『妙法比丘尼御返事』
法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候也
『新池殿御消息』
抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗べき車にて候也。彼車をば法華経譬喩品と申すに懇に説せ給て候。
『大白牛車御消息』
日蓮は日本第一の法華経の行者也。日蓮が弟子、檀那等の中に日蓮より後に来り給候はば、梵天、帝釈、四大天王、閻魔法皇の御前にても、日本第一の法華経の行者日蓮房が弟子檀那なりと名乗て通り給べし。
『波木井殿御書』
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