日蓮

よく、日蓮を「排他的だ」とか「独善的だ」と言う人がいる。そういう人は日蓮を正しく理解できていない。もし日蓮を排他的、独善的と言うならば、釈迦に対しても、排他的、独善的だと言わざるを得ない。

なぜなら、日蓮の教えは全て、日蓮自身が勝手に考え出したものではなく、専ら釈尊の言葉、即ち経文を拠り所としているからである。
日蓮の教えは日蓮自身の見解を捨て、釈尊の言葉に忠実に従っている。だから、その教えは釈迦の意志に直結する。日蓮の教えは釈迦の教えそのままなのである。
故に日蓮を誹謗中傷する者は、即釈尊を誹謗中傷することになる。

日蓮が諸宗を非難したのも、嫌悪心からではなく、〔正直にして方便を捨て、但無上道を説く〕という法華経の説と、涅槃経の〔若し善比丘あて法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞也〕という経文等に基づいている。
(ここでいう「方便」とは法華以前に説かれた四十余年の諸経を指し、「無上道」とは法華経のことを指す。)

釈尊自ら「念仏等の四十余年の諸経を捨てよ」「法華経だけを持て」と勧奨されている。
だから、日蓮が諸宗を非難したのも誹謗中傷ではなく、釈尊の意志をそのまま表しているのであって、日蓮の自己判断から来ているのではない。
法華経は是、釈尊の本懐です。

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