無量義経も間違いなく仏説

昨今の学会では、無量義経は梵語の原典が失われているから仏説ではない、偽経であると主張している。
なので、仏教をかじった者の中には、その妄説に引っかかって「無量義経は偽経なんだ」との見方をしてしまっている者が多い。

確かに、私が今頃原典をどこかで発見して持って来ることはできないが、そもそも原典が無いからといって、それが仏説でないという証明にはならない。
以前の記事で証明したが、法華経は仏説である。
その法華経の中で、釈迦は無量義経を説いたことが明示されている。

爾の時に世尊、四衆に圍繞せられ、供養・恭敬・尊重・讃歎せられて、諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。仏此の経を説き已って、結跏趺坐し無量義処三昧に入って身心動したまわず。

序品第一

法華経の前に無量義経が説かれたということ。
仏には妄語無し。法華経が仏説であるから、無量義経も自動的に仏説になる。
法華経が仏説であるのに、無量義経だけ仏説でないという理屈は通ろうか。

法華経の序品では、釈迦以前の遥か昔の仏、日月燈明仏も法華経の前に無量義経を説かれたことが文殊の回想によって説かれている。
釈迦以外の諸仏も法華経の前に無量義経を説かれるのが通例だ。
真理である経典は延々と引き継がれていくものだから、現代の学者がその舌で放言して非仏説と主張したところで覆されるものではない。

誰が何と言おうと法華経は仏説。無量義経以外の諸大乗経も釈迦が説いたもので間違いない。
それだから、大乗は釈迦が説いたものではないとか決して言いふらしてはならない。

そもそも大乗経というのは、考古学などの現代科学で検証して信用を計るものではない。
そのような見地から分析するのは全て浅墓だ。現代科学の範疇に収まる代物ではない、それが大乗だ。
「学位のあるお偉い先生方が言ってるんだから…」そうやって、一般人はころっと騙されてしまう。
このように無量義経の信心を失わせて、大乗経全体に不信感を抱かせる。
ここに、現代の学者の重大な犯罪行為が露見する。

思うに、最近の仏教学者は最初から日本の伝統仏教、大乗教を破壊する目的を持って研究しているのかもしれない。
仏教学者と称しているが、実際はキリシタンであったり、フリーメーソンに属して身分を装ったりしている者もいるようだ。
学者の肩書があってそれなりの地位があれば、世間で幅を利かせられるからな。
フリーメーソンの世界支配目的の作戦として「全ての宗教の破壊」が挙げられる。
大乗は衆生の眼を簡単に開かせてしまうから、彼らにとって邪魔で仕方が無いのだ。
故に、この国で仏教学者としての地位を得て権威を振りかざし、着々と仏教の破壊行為を続けているのだ。

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