新聞広告や書店で大々的に紹介されている歎異抄を手に取り、これを読んで念仏を唱え、親鸞聖人について行けば救われるのだと思ったあなた、それは大間違いです。
歎異抄を読んで救われたように見えて、返って後生の苦しみを増す。歎異抄の説を信じれば、邪見を増し、仏法に暗くなり、真善から遠ざかるだけです。
念仏を唱えることは一見善いように見えますが、それを奨励した念仏の祖師達は自身の著述で念仏を持ち上げ、念仏以外の教えである法華経などは「必要無い、捨てよ」と密かに命じています。
これは完全に仏説を無視した自分勝手な考えをです。一切経の中で「念仏が一番、法華経を捨てよ」という経文はどこにもありません。
法華経には法華経を誹謗する者、つまり法華経を捨てたり、他の経より見下したりする者は無間地獄に堕ちて永遠に苦しむと書かれています。この経文は真実です。
念仏以外の教えは必要無い、捨てよと命じることは確実に法華経誹謗にあたり、地獄を免れることはできません。たとえ法華経を知らず謗らずと雖も、念仏を唱え続ければ、自然に彼の祖師達の弟子となってその法華経誹謗の邪悪な教えを受け継ぐから、師と共に地獄に堕ちるのです。
親鸞は歎異抄の中で、「法然に騙されて地獄に落ちても構わない」みたいなことを言っていますが、これは投げ遣りであり、非常に危険な説である。また、念仏が浄土に生まれるか地獄に堕ちるかも明言していない。これはあやふやであり、答えをはっきり出さないのは、自分の説に自信が無いということであろう。
事実、念仏を唱えることは上に述べているように地獄の業因なのである。だとしたら、歎異抄は人を地獄に導く書ではないか?
親鸞の詭弁に騙されてはいけない!親鸞は詭弁を用いて日本人を邪法の網に掛ける悪魔の僧なのだ。
日蓮は念仏が地獄に堕ちるべき業であると断言されています。
これは日蓮が勝手に考え出した説ではなく、ちゃんと経文に随って導き出された正しい答えなのです。方便に過ぎない劣った念仏を最も尊いもの思い込んで、実際に最も尊い法華経の題目を捨てているから、諸経の勝劣に転倒して罪を得るのです。先の経(浄土三部経)だけを用いて、後の経(法華経)を捨てているのです。
また、他方の世界の阿弥陀仏を尊んでこの世界の本師である釈迦仏を捨てているから、不孝の五逆罪の者ともなるのです。念仏の祖師である法然・善無畏等は、法華経を念仏に対して捨てよと命じているから、それに随っている親鸞も、師の教えに随順するが故に同罪です。
歎異抄は嘘、でたらめ。日本人を悪道に導く邪悪の書である。
歎異抄に書かれていることのほとんどが、経文(釈迦の言葉)を用いないで、親鸞の自分勝手な考えを述べた書であるに過ぎません。
本当のことを言っているのは、日蓮が書いた立正安国論です。立正安国論こそ日本人の心を救う書です。日蓮はその中で、日蓮自身の意見、考えはほとんど述べられずに、ただ経文を引いて答えを導き出しています。
近年(鎌倉時代)にあらゆる災いが多発しているのは、「念仏が国中に広まって人々が正法を捨て去っているためである」ということを、経文を引いて論証しています。経文は即、釈尊の言葉。
日蓮は釈尊の言葉に忠実になっているから、安国論の説はそのまま釈迦の意志と合致しています。
立正安国論を忠実に読み進めていけば、念仏の教えが仏意に背いている邪義であることが分かるはず。もしこのことを悟ったなら、速やかに念仏を捨てて法華経に帰依せよ。
日本人が行ずるべき経はただ一つ、法華経です。念仏ではありません。
日本人の諸君、立正安国論を読んで念仏の邪見を捨て、法華経の題目を持って正見を植えよ。
今の日本人を救う師匠は法然でも親鸞でもない、日蓮ただ一人だ!
歎異抄、歎異抄と騒がれていますが、まずは自分の目で立正安国論を読んでみてください。世間の波が正しいとは限りません。
本当のことを言っている人は疎んじられ、世間の目には付きにくいものです。
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