大乗非仏説論は最悪の説だ。天台の五時教判を葬る仏教学者は最低だ。
いくら学者が歴史的事実のように見せかけても絶対に信じてはいけない。
この学者どもは仏教を破壊しようとする魂胆が伺える。
「原典が無い」とか「出所が不明」というだけで、「仏説に非ず」「創作だ」と決め付けてよいものか?そんなことをいちいちこじつけるより前に、大乗を誹謗することは五逆罪にも超える大罪であることを知るべきだ。
どんな理由があろうとも、決して大乗経を仏説に非ずとか言って誹謗してはならない。
大乗は仏の真実の言葉、大乗は仏の智慧、仏の本懐、大乗は一切衆生の拠り所、一切衆生の進むべき道。
故に大乗を否定する者は大嘘つき、仏の智慧を破る者、仏の舌を切る者、一切衆生の大怨敵、一切衆生の仏道を塞ぐ大罪人である。
これを破戒、一闡提と言わずに何と言うべきか?
また、もし大乗経典の出所を求めるなら、仏滅後のインドでは、先の五百年は小乗経が流布し、その後の五百年に大乗経が流布することが予言されています。この期間を正法といいます。とすると、初めの五百年の間、大乗経典は人間には見つからないように様々な場所(鉄塔等)に隠されて保管されていたと考えられる。
そこで、先の五百年がたった後で、諸々の菩薩が隠された場所から大乗経を発掘して興したとなると、原典(原文)が見つからない経典があるのは当然ではないか。インドの菩薩たちが、天上や龍宮から持ち運んできた大乗の経論も多くあると聞く。
天上や龍宮には、この人間世界とは比べ物にならない無数の経巻が収められているのだ。
あなたはこのことを信じられるか?鼻で笑う者もいるだろう。
天上や龍宮の存在を認めることは仏教ではごく浅い段階の修行だ。天上や龍宮の存在さえ認められないなら、なおさら仏の深い教(大乗)を信じることができようか?
「天上や龍宮なんて非現実的だ」なんていう人は三界を知らぬ者。仏教の浅い教えも信じることができない、盲人に異ならない。
非仏説を唱える者は、自分たちの目に見える範囲の資料だけを用いて、仏の不可思議の大智を無視して信じない外道だ。自ら闇に入り、他人をして闇に入らせる悪魔の僕に変わりない。
誹謗大乗の大罪を少しも畏れない、破戒者である貴様らに、仏教を語る資格はない。
大乗を否定し続けて少しも悔やまない人間は、脳天をかち割ってもまだ足りない。
今の人々を救う道は大乗、中でも法華経しかないのだ。
それなのに、色々理由をこじつけて「仏説に非ず」とか言って信心を失わせれば、一切衆生の救済の道、成仏の種を断つ大悪人ではないか。
ただ、考古学的な資料ばかり追い求めて、経論に説かれる諸々の神通・不思議の事を無視すれば、それは現代人の浅い智慧で深遠な仏典を理解しようとする、菅の穴から天を窺う狭量な者だ(管中窺天)。仏典(仏教)を正しく理解することにはならない。
言っておきます。法華経の信心を破る者は災いです。悪知識に他なりません。近寄るべからず。信じるべからず。
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