大乗は仏説(2)の文章は攻撃的、感情的で過激に映るかもしれません。
ですが、仏弟子として、仏教を信じる者として、大乗を否定する発言は許せないのです。
大乗や法華経を悪く言っている文章を見ると、腸が煮えくり返る思いになるのです。
言葉は強気ですが、すべて護法の心を持っての上です。
涅槃経に、
若し善比丘あて法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞也
という文があります。
正法である大乗を破壊するものを見てそのまま見逃して責めないなら、仏法中の怨と成り、破法者と共に大地獄に生ずべし、ということです。
その罪を聞いて恐れずにはおれず、微々たるものですがその過ちを責めている次第です。
これからも続けます。
ほんのわずかですが、私でも大小の経論に目を通して、小乗よりも、大乗の教えの重要性、ありがたさは、比べ物にならないものということを知っています。
大乗を謗じる罪は計り知れないという事も耳にしております。だれがその罪を恐れないでいられましょう?
ただ、破法の者がおれば「折伏を行じて力あれば威勢を以ってその邪義を責めよ」と日蓮師は仰っています。
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