近年、偽パンデミック騒動が起こったのをきっかけに、ワクチンやマスコミの嘘に気付いた、いわゆる“気付いた人”界隈で、スピリチュアルに傾倒していく人が多いのを危惧している。
ここで「外道」という言葉を使っているが、スプリチュアルが鬼畜のようで醜いという憎しみの意味を込めて言っているのではない。
スピリチュアルの教義の出所を尋ねれば、もともと四韋陀など天竺の外道から派生しているものがほとんど。
例えば、ある教派は「この世界は全て自分の心が創り出したもの」「全ては自分が引き寄せている(引き寄せの法則)」などの教義を掲げているが、似たような教えは仏典にもある。
華厳経にある説や、天台の一念三千を掠め取って自分たちの教義を補完したりするものもあり、大偸盗の許されざる悪業である。
「引き寄せ」というのは、仏法でいえば「業の所感」にあたり、あながちに誤りではない。
しかし、その法則の提唱者はそこから金儲けや処世術に行き着き、誤誘導させているので用いてはならない。
彼らが提唱するスプリチュアルや引き寄せを体得しても、かえって別の煩悩に繋縛され、我々が輪廻するこの世界、三界を抜け出すことはできないのである。
つまり、三界の内に留まりそこから脱することはできない。三界の牢獄から抜け出せないのである。
例えば、物質世界にとらわれたこの地球は低層三次元で苦しみに満ちているので、「より精神的な5次元を目指そう!」というスピリチュアリストがいるが、その5次元も苦しみを完全に抜け出した永遠に存在する場所ではない。
それに、5次元を目指すなら、その有様を詳しく解き明かしてほしいものだ。5次元にはどのような生物どのような生活をしているのかな?住人の寿命は?
百歩譲って、彼らの言う通り5次元を極めてそこに移行したとしよう。そのときに5次元の不完全さに気付いたとしたら、「じゃあ、次は6次元、次は7次元を目指そう!」という話になるが、最終的に何次元まで移行すれよいのだ?最高次元は何次元だい?
結局その次元まで行きついたとしても、そこは永久不滅で完全無欠な場所ではない。三界の内だ。
釈迦はそのような場所も「無常である」と断言されている。その次元を極めてもに留まることはなく、屈歩虫のように低次元に転落するのだ。
釈迦は在世中、この世界の構造を全て惜しみなく明らかにされた。
スピリチュアルの人たちが使う「〇〇次元」とか、「物質にとらわれたこの世界」などという括りを使用せずに、
三界・六道・二十五有…などで世界の構造を詳しく分析されている。小乗経典や倶舎論などの説一切有部の論書に詳しい。
もしこれからの時代、スピリチュアルが優勢になって教義が完成されていき、高次元を目指す精神修養が盛んになれば、最終的な到達点は「非想非非想天」になるだろう。
そこは肉体を持たない衆生が住む世界で、識心だけで生きる、とても難解で不可解な世界だ。
たとえその世界を極めて八万劫の寿命に安んじたとしても、その場所も結局「無常」なので、必ず命の尽きる日が来る。その次元から再び野干の身に生まれたりして低次元に転落するのだ。
仏教はそこを超越して、三界を脱して灰身滅智の阿羅漢になるのが目的ですが、それも小乗であり仏教の最終目標でありません。阿羅漢を目指すのはまだまだ低劣な段階です。
スピリチュアルもキリスト教と同じで、その教えは不完全であやふやなところが多過ぎます。
仏教はスピリチュアルに比べれば非の打ち所がない完璧な教えです。それを比較すれば雲泥の差です。
ある人は「仏教はスピリチュアルの範疇だよ」「仏教はスピリチュアル的ですね」「仏教もスピリチュアルも行き着く先は同じだよ」なんて放言していますが、とんでもない誤りです。
はっきり言っておきますが、正しくは「スピリチュアルは外道の範疇」です。
釈迦は、我が教えと類似した精神修養、精神世界の教義を唱える教団や学説を、たとえその説に正しい部分があろうとも、その追従を許しませんでした。
当時は九十五種も異なった宗派があり、「異道はすべて悪道に赴く」と断言されました。外道は悪道なのです。
そこで、「我が説く法は誤りが無いので、我に帰依してその法を修行するために我が教団に加われ」と命じられました。三宝に帰依する、いわゆる「三帰」です。
私は「外道」と結論付けていますが、口汚く罵っているわけではなく、釈迦の教えに従って論じているに過ぎないので、「スピリチュアルに対して酷い言い方をするもんね」と言われる筋合いはありません。
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