善無畏鈔 文永三年(1266)
善無畏三蔵は月氏烏萇奈国の仏種王の太子也。七歳にして即位。十三にして国を兄〈このかみ〉に譲り、出家遁世し、五天竺を修行して、五乗の道を極め、三学を兼ね給ひき。達磨掬多と申す聖人に値ひ奉りて真言の諸印契一時に頓受し、即日に御潅頂をなし、人天の師と定まり給ひき。鶏足山に入ては迦葉尊者の髪を剃り、王城に於て雨を祈り給ひしかば、観音日輪の中より出で、水瓶を以て水を潅ぎ、北天竺の金粟王の塔の下にて仏法を祈請せしかば文殊師利菩薩大日経の胎蔵の曼荼羅を現して授け給ふ。
其の後開元四年丙辛に漢土に渡る。玄宗皇帝、之を尊むこと日月の如し。又大旱魃あり。皇帝勅宣を下す。三蔵一鉢に水を入れ暫く加持し給ひしに、水の中に指計りの物有り。変じて龍と成る。其の色赤色也。白気立ち昇り、鉢より龍出でて虚空に昇り、忽ちに雨を降らす。此の如くいみじき人なれども、一時に頓死して有りき。蘇生して語りて云く 我死につる時、獄卒来りて鉄の七筋付け、鉄杖を持て散散にさいなみ、閻魔宮に到りにき。八万聖教一字一句も覚えず。唯法華経の題目計り忘れず。題目を思ひしに鉄の縄少し許〈ゆり〉と。息続いて高声に唱へて云く_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護等云云。七つの鉄の縄切れ碎け、十方に散ず。閻魔冠を傾けて南庭に下り向ひ給ひき。今度は命尽きずして帰されたる也と語り給ひき。
今日蓮不審して云く 善無畏三蔵は先生に十善の戒力あり。五百の仏陀に仕へたり。今生には捨てかたき王位をつばき(唾)をすつるかことくこれをすて、幼少十三にして御出家ならせ給ひて、月支国をめくりて諸宗を習ひ極め、天の感を蒙り、化道の心深くして震旦国に渡りて真言の大法を弘めたり。一印一真言を結び誦すれば、過去現在の無量の罪滅しぬ覧。何の科に依て閻魔の責めをば蒙り給ひする哉覧。不審極まり無し。善無畏三蔵、真言の力を以て閻魔の責めを脱れずば、天竺・震旦・日本等の諸国の真言師、地獄の苦を脱るべきや。
委細に此の事を勘へたるに、此の三蔵は世間の軽罪は身に御はせず。諸宗竝びに真言の力にて滅しぬ覧。此の責めは別の故無し。法華経謗法の罪也。大日経の義釈を見るに_此経是法王秘宝不妄示貴賎之人。如釈迦出世四十余年因舎利弗慇懃三請 方為略説妙法蓮華義。今此本地之身又是妙法蓮華最深秘処。故寿量品云 常在霊鷲山 及余諸住処 乃至 我浄土不毀 而衆見焼尽。即此宗瑜伽之意耳。又因補処菩薩慇懃三請方為説之〔此の経は是れ法王の秘宝、妄りに貴賎の人に示さず。釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因りて方に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し。今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘の処なり。故に寿量品に云く 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり 乃至 我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて、と。即ち此の宗瑜伽の意なるのみ。又補処の菩薩の慇懃の三請に因りて方に為に之を説く〕等云云。
此の釈の心は大日経に本迹二門、開三顕一・開近顕遠の法門有り。法華経の本迹二門の如し。此の法門は法華経に同じけれども、此の大日経に印と真言と相加はりて三密相応せり。法華経は但意密計りにて身口の二密闕けたれば、法華経をば略説と云ひ、大日経をば広説と申すべき也と書かれたり。
此の法門第一の・り、謗法の根本也。此の文に二つの・り有り。又義釈に云く ̄此経横一切統仏教〔此の経横まに一切の仏教を統ぶ〕等云云。大日経は当分随他意之経なるを・りて随自意跨説之経と思へり。かたがた・りたるを実義と思し食せし故に、閻魔の責めをば蒙りたりしか。智者にて御座せし故に、此の謗法を悔ひ還して法華経に翻りし故に、此の責めを免るるか。
天台大師、釈して云く_法華・括衆経 乃至 軽慢不止舌爛口中〔法華は衆経を・括す 乃至 軽慢止まざれば舌口中に爛る〕等云云。妙楽大師云く_已今当妙於此固迷。舌爛不止猶為華報。謗法之罪苦流長劫〔已今当の妙此に於て固く迷へり。舌爛止まざるは猶お華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る〕等云云。天台・妙楽の心は法華経に勝れたる経有りと云はむ人は、無間地獄に堕つべきと書かれたり。善無畏三蔵は法華経と大日経とは理は同じけれども事の印・真言は勝れたりと書かれたり。然るに二人の中に一人は必ず悪道に堕つべしとをぼふる処に、天台の釈は経文に分明也。善無畏の釈は経文に其の証拠見えず。其の上閻魔王の責めの時、我が内証の肝心とをほしめす大日経等の三部経の内の文を誦せず。法華経の文を誦して此の責めをまぬかれぬ。疑ひなく法華経に真言まさりとをもう・りをひるかへしたるなり。其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日経をば左右に立て、法華経・多宝仏をば不二の大日と定めて、両部の大日をば左右の臣下のことくせり。
伝教大師は延暦二十三年の御入唐、霊感寺順暁和尚に真言三部の秘法を伝はり、仏瀧寺の行満座主に天台の宝珠をうけとり、顕密二道の奥旨をきわめ給ひたる人。華厳・三論・法相・律宗の人人の自宗我慢の辺執を倒して、天台大師に帰入せる由をかゝせ給ひて候。依憑集・守護章・秀句なむど申す書の中に、善無畏・金剛智・不空等は天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり。
各各思えらく、宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌ふは常の習ひ也と思えり。法然なむどは又此の例を引いて曇鸞の難易・道綽の聖道浄土・善導が正雑二業のの名目を引きて天台・真言等の大法を念仏の方便と成せり。此れ等は牛後に大海を入れ、県の額を州に打つ者也。世間の法には下剋上・背上向下は国土亡乱の因縁也。仏法には権小の経経を本として実教をあなづる、大謗法の因縁也。恐るべし、恐るべし。
嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖、或時は一代聖教を五時に分け、或時は二蔵と判ぜり。然りと雖も龍樹菩薩造の百論・中論・十二門論・大論を尊びて般若経を依憑と定め給ひ、天台大師を辺執して過ぎ給ひし程に、智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけ、やうやう近づきて聴聞せし程に、結句は一百余人の弟子を捨て、般若経竝びに法華経をも講ぜず、天台大師に仕えさせ給ひき。高僧伝には衆を散じ身を肉橋と成すと書かれたり。天台大師高坐に登り給えば寄せて肩を足に備え、路を行き給えば負ひ奉り給ひて堀を越え給ひき。吉蔵大師ほどの人だにも謗法をおそれてかくこそつかえ給ひしか。
而るを真言・三論・法相等の宗宗の人々、今すえすえに成りて辺執せさせ給うは自業自得果なるべし。今の世に浄土宗・禅宗なんど申す宗宗者、天台宗にをとされし真言・華厳等に及ぶべからず。依経既に楞伽経・観経等也。此れ等の経経は仏の出世の本意にも非ず、一時一会の小経也。一代聖教を判ずるに及ばず。而も彼の経経を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行に分け、教外別伝なむどのゝしる、譬へば民が王をしえたげ、小河の大海を納むるがごとし。かかる謗法の人師共を信じて後生を願ふ人人は無間地獄脱るべきや。
然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ、法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。其の上女人は五障三従と申して、世間出世に嫌はれ一代の聖教に捨てられ畢んぬ。唯法華経計りに古曾龍女が仏に成り、諸の尼の記・はさづけられて候ぬれば、一切の女人は此の経を捨てさせ給ひては何れの経をか持たせ給ふべき。
天台大師は震旦国の人、仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給ひき。法華経に三十巻の文を注し給ひ、文句と申す文の第七巻には_他経但記男不記女〔他経は但男に記して女に記せず〕等云云。男子も余経にては仏に成ならざれども且く与へて其れをば許してむ。女人に於ては一向諸経にては叶ふべからずと書かれて候。縦令千万の経経に女人成るべしと許されたりと雖も法華経に嫌はれなば何の憑みか有るべきや。教主釈尊、我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔ひ返し、涅槃経等をば当説と嫌ひ給ひ、無量義経をば今説と定めをき、三説にひてたる法華経に_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕と釈尊宣べ給ひしかは、宝上世界の多宝仏は大地より出でさせ給ひて真実なる由の証明を加へ、十方分身の諸仏は広長舌を梵天に付け給ふ。十方世界微塵数の諸仏の御舌は不妄語戒の力に酬ひて八葉の赤蓮華にをいいでさせ給ひき。一仏二仏三仏乃至十仏百仏万億仏の四百万億那由他の世界に充満せりし仏の御舌をもんて定めをき給える女人成仏の義也。
謗法無くして此の経を持つ女人は十方虚空に充満せる慳貪・嫉妬・瞋恚・十悪・五逆なりとも、草木の露の大風にあえるなるべし。三冬の冰の夏の日に滅するが如し。但滅し難き者は法華経謗法の罪也。譬へば三千大千世界の草木を薪と為すとも、須弥山は一分も損し難し。縦令七つの日出でて百千日照らすとも、大海の中をばかわかしがたし。設ひ八万聖教を読み、大地微塵の塔婆を立て、大小乗の戒行を尽くし、十方世界の衆生を一子の如くに為すとも、法華経謗法の罪はきゆべからず。我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗の罪なるべし。女人と生まれて百悪身に備ふるも、根本此の経誹謗の罪より起れり。
然者此の経に値ひ奉らむ女人は皮をはいで紙と為し、血を切りてすみとし、骨を折て筆とし、血のなんだを硯の水としてかきたてまつるともあくごあるべからず。何に況んや衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施を以て供養せむはもののかずにてかずならず。
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