釈尊とは

抑そも釈尊は我等がためには賢父たる上、明師也、聖主也。
『下山御消息』

釈迦如来は此れ等衆生には親也、師也、主也。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてましませども、親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ。
『南条兵衛七郎殿御書』

先ず法華経の第二の巻の今此三界の文を開きて、釈尊は我等が親父也等定め了るべし。
<中略>
釈尊は我等が父母なり。
『法門可被申様之事』

 娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領也。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子也。譬へば成劫の始め一人の梵王下りて六道の衆生をば生みて候ぞかし。梵王の一切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親也。又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩也。黒白を弁ふも釈尊の恩也。
<中略>
此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子御民ぞかし。
『一谷入道御書』

天照太神・八幡大菩薩もその本地は教主釈尊也。
『日眼女釈迦仏供養事』

月氏にては釈尊と顕れて法華経を説き給ひ、日本国にしては八幡大菩薩と示現して正直の二字を願に立て給ふ。教主釈尊は住劫第九の減、人寿百歳の時、四月八日甲寅の日中、天竺に生まれ給ひ、八十年を経て、二月十五日壬申の日御入滅なり給ふ。八幡大菩薩は日本国第十六代応神天皇、四月八日甲寅の日生まれさせ給ひて、御年八十の二月十五日壬申に隠れさせ給ふ。釈迦仏の化身と申す事はたれの人かあらそいをなすべき。
『智妙房御返事』

教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐す。
『念仏無間地獄鈔』

第二の巻に云く_今此三界等云云。此の文は日本国、六十六箇国嶋二つの大地は、教主釈尊の本領也。娑婆以て此の如く、全く阿弥陀仏の領に非ず。其中衆生 悉是吾子〔其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕と云云。日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女、各父母有りといへども、其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子也。三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息也。全く阿弥陀仏の子には非ざる也。
『六郎恒長御消息』

教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師也。
『四条金吾殿御返事』

釈尊は法華経の御為に今度九横の大難にあひ給ふ。
『如説修行鈔』

「其中衆生悉是吾子、而今此処多諸患難、唯我一人能為救護」等云云。此の経文は釈尊は三義を備へ、阿弥陀等の諸仏は三義闕けたり。
『其中衆生御書』

釈尊と我等とは本地一体不二の身なり。釈尊と法華経と我等との三は全体不思議の一法にして全く三の差別なきなり。されば日蓮等の類並びに弟子檀那、南無妙法蓮華経と唱ふる程の者は久遠実成の本眷属妙なり。
『授職潅頂口伝鈔』

八幡大菩薩は日本第十六の王、本地は霊山浄土に法華経をとかせ給し教主釈尊なり。衆生のねがい(願)をみて(満)給がために神とあらわれさせ給ふ。
『南条殿御返事』

夫れ教主釈尊は娑婆世界第一の聖人也。
『妙密上人御消息』

釈尊は一切衆生の本従の師にて、而も主、親の徳を備へ給ふ。
『曾谷殿御返事』

今日本国の大地、山河、大海、草木等は皆釈尊の御財ぞかし。全く一分も薬師仏、阿弥陀仏等の佗仏の物にはあらず。又日本国の天神、地神、九十余代の国主並に、万民、牛馬生と生る生ある者は皆教主釈尊の一子なり。又日本国の天神、地神、諸王、万民等の天地、水火、父母、主君、男女、妻子、黒白等を弁へ給ふは、皆教主釈尊御教の師也。全く薬師、阿弥陀等の御教にはあらず。されば此仏は我等がためには、大地よりも厚く虚空よりも広く、天よりも高き御恩まします仏ぞかし。かゝる仏なれば王臣、万民倶に人ごとに、父母よりも重んじ、神よりもあがめ(崇)奉るべし
『妙法比丘尼御返事』

 夫れ教主釈尊をば大覚世尊と号したてまつる。世尊と申す尊の一字を高ともうす。高と申す一字は又孝と訓ずるなり。一切の孝養の人の中に第一の孝養の人なれば世尊とは号し奉る。釈迦如来の御身は金色にして三十二相を備え給う。彼の三十二相の中に無見頂相と申すは、仏は丈六の御身なれども、竹杖外道も其の身長をはからず、梵天も其の頂を見ず、故に無見頂相と申す。是れ孝養第一の大人なればかかる相を備えまします。
『法蓮鈔』

大覚世尊。此れ一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり。
『開目抄』

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