仏入滅の次日より千年をば正法と申す。持戒の人多く得道の人これあり。
『南条兵衛七郎殿御書』
仏付法蔵経等に記して云く 我が滅後に正法一千年が間、我が正法を弘むべき人、二十四人次第に相続すべし。迦葉・阿難等はさておきぬ。一百年の脇比丘、六百年の馬鳴、七百年の龍樹菩薩等一分もたがわず、すでに出給いぬ。
『開目抄』
小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現す。大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す。
<中略>
正法一千年之間は小乗・権大乗也。
『観心本尊抄』
正法千年は教行証の三つ、具さに之を備ふ。
<中略>
正法千年に三事を具するは在世に於て法華経に結縁する者、其の後正法に生まれて小乗の教行を以て縁と為して小乗の証を得る也。
『顕仏未来記』
正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等、一向に小乗之薬を以て衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と、相続解脱経等の三蔵とを弘通し、後には律宗・倶舎宗・成実宗と号する、是れ也。後の五百年には馬鳴菩薩・龍樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、後には一々に彼の義を破失し、了りて諸の大乗経を弘通す。是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す。所謂、華厳経・般若経・大日経・深密経等。三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等也。
『曾谷入道殿許御書』
仏の御入滅の次の日より一千年をば正法と申す。この正法一千年を二にわかつ。前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給ふ。ひろめし人々は迦葉・阿難等なり。後の五百年は馬鳴・龍樹・無著・天親等、権大乗経を弘通せさせ給ふ。法華経をばかたはし計りかける論師もあり。又つやつや申しいださぬ人もあり。
『随自意御書』
仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。
『教機時国鈔』
天竺国には正法一千年之間は外道有り。一向小乗の国有り、又、一向大乗の国有り。又、大小兼学の国有り。
『当世念仏者無間地獄事』
正法一千年には龍樹、天親等仏の御使と為つて法を弘む。然りと雖も但小、権の二教を弘通して実大乗をば未だ之を弘通せず。
『波木井三郎殿御返事 』
夫れ仏の滅後二月十六日よりは正法の始めなり。迦葉尊者仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年、次に商那和修二十年、次に優婆崛多二十年、次に提多迦二十年、已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して、諸大乗経は名字もなし。何に況んや法華経をひろむべしや。次には弥遮迦・仏陀難提・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の四五人、前の五百余年が間は大乗経の法門少々出来せしかども、とりたてゝ弘通し給はず、但小乗経を面としてやみぬ。已上大集経の先五百年、解脱堅固の時なり。
正法の後六百年已後一千年が前、其の中間に馬鳴菩薩・・羅尊者・龍樹菩薩・提婆菩薩・羅・尊者・僧・難提・僧伽耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十余人の人々、始めには外道の家に入り、次には小乗経をきわめ、後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給ひき。此れ等の大士等は諸大乗経をもつて諸小乗経をば破せさせ給ひしかども、諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかゝせ給はず。設ひ勝劣すこしかゝせ給ひたるやうなれども、本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当の妙・百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず。但或は指をもつて月をさすがごとくし、或は文にあたりてひとはし(一端)計りかゝせ給ひて、化道の始終・師弟遠近・得道の有無はすべて一分もみへず。此れ等は正法の後の五百年、大集経の禅定堅固の時にあたれり。
<中略>
馬鳴・龍樹・提婆・無著等も正法一千年の内にこそ出現せさせ給へ。天親菩薩は千部の論師、法華論を造りて諸経の中第一の義を存す。真諦三蔵の相伝に云く 月支に法華経を弘通せる家五十余家、天親は其の一也と。已上正法なり。
『撰時抄』
付法蔵の人々は四依の菩薩、仏の御使なり。提婆菩薩は外道に殺れ、師子尊者は檀彌羅王に頭を刎られ、仏陀密多・龍樹菩薩等は赤幡を七年十二年さしとをす。馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとなり、如意論師はをもひじにに死す。此等は正法一千年の内なり。
『報恩抄』
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