真言は国を亡ぼす悪法(5)

真言見聞 文永九年

問ふ 真言亡国とは、証文何れの経論に出でたる耶。
 答ふ 法華誹謗、正法向背の故也。
 問ふ 亡国の証文、之無くば、云何に信ずべき耶。
 答ふ 謗法之段は勿論なる歟。若し謗法ならば亡国・堕獄、疑ひ無し。凡そ謗法とは、謗仏謗僧也。三宝一体なる故也。是れ涅槃経の文也。爰を以て法華経には則断一切 世間仏種〔則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕と説く。是れを即ち一闡提と名づく。涅槃経の一と十と十一とを委細に見るべき也。
 罪に軽重有れば、獄に浅深を構へたり。殺生・偸盗等、乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども、等活・黒縄等の上、七大地獄之因として無間に堕ちる事は都て無し。阿鼻の業因は、経論の掟は五逆・七逆・因果撥無・正法・誹謗の者也。但し五逆之中に一逆を犯す者は無間に堕すと雖も、一中劫を経て罪を尽くして浮かぶ。一戒をも犯さず道心堅固にして後世を願ふと雖も、法華に背きぬれば無間に堕して展転無数劫と見えたり。然れば則ち謗法は無量の五逆に過ぎたり。是れを以て国家を祈らんに天下将に泰平なるべしや。諸法は現量に如かず。-
 承久の兵乱之時、関東には其の用意もなし。国主として調伏を企て四十一人の貴僧に仰ぎて十五壇之秘法を行はる。其の中に守護経の法を紫宸殿にして御室始めて行はる。七日に満せし日、京方かみがた負け畢んぬ。亡国之現証に非ず乎。是れは僅かに今生之小事也。権教邪法に仍て悪道に堕せん事、浅猿あさましかるべし。
 問ふ 権教邪執之証文は如何。既に真言教は大日覚王の秘法、即身成仏の奥蔵也。故に上下一同に是の法に帰し、天下悉く大法を仰ぐ。海内を静め天下を治むる事、偏に真言之力也。然るを権教邪法と云ふ事、如何。
 答ふ 権教と云ふ事。四教含蔵、帯方便之説なる経文顕然なれば也。然らば四味の諸経に同じて久遠を隠し二乗を隔つ。況んや尽形寿の戒等を述ぶれば小乗権教なる事、疑ひ無し。爰を以て遣唐の疑問に、禅林寺の広修・国清寺の維鑰之決判、分明に方等部之摂と云ひし也。
 疑て云く 経文の権教は且く之を置く。唐決之事は、天台の先徳円珍大師、之を破す。大日経の旨帰に_法華尚不及 況自余教乎〔法華尚及ばず、況や自余の教をや〕云云。既に祖師の所判也。誰か之に背くべき耶。
 決して云く 道理、前の如し。依法不依人之意也。但し此の釈を智証の釈と云ふ事、不審也。其の故は授決集の下に云く_若望華厳・法華・涅槃等経是摂引門〔若し華厳・法華・涅槃等の経に望むれば是摂引門なり〕と云へり。広修・維鑰を破する時は法華尚不及と書き、授決集には是摂引門と云ひて、二義相違せり。旨帰が円珍之作ならば、授決集は智証の釈に非ず。授決集が実作ならば、旨帰は智証之釈に非ず。授決集が智証之釈と云ふ事、天下之人、皆、之を知る上、公家の日記にも之を載せり。旨帰は人多く之を知らず。公家の日記にも之無し。此を以て彼を思ふに後の人作りて智証の釈と号する歟。能く能く尋ぬべき也。
 授決集は正しき智証の自筆也。密家に四句の五蔵を設けて十住心を立て論を引き、伝を三国に寄せ、家々の日記と号し、我が宗を厳るとも、皆是れ妄語、胸臆之浮言にして、荘厳己義之法門也。
 所詮、法華経は大日経より三重の劣、戯論之法にして、釈尊は無明纏縛之仏と云ふ事、慥かなる如来之金言経文を尋ぬべし。証文無くんば何と云ふとも法華誹謗の罪過を免れず。此の事当家之肝心也。返す返す忘失する事勿れ。
 何れの宗にも正法誹謗之失、之有り。対論之時は、但此の一段に在り。仏法は自他宗異なりと雖も、翫ぶ本意は、道俗貴賎共に離苦得楽現当二世の為也。謗法に成り伏して悪道に堕すべくは、文殊の智慧・富楼那の弁説、一分も無益也。無間に堕する程の邪法の行人にて国家を祈祷せんに将た善事と為すべき耶。顕密対判之釈は且く之を置く。華厳に法華劣ると云ふ事能く能く思惟すべき也。-
 華厳経の十二に云く四十華厳也_又彼所修一切功徳六分之一常属於王。如是障修及造不善所有罪業六分之一還属於王〔また彼の所修の一切功徳の六分の一は常に王に属す。是の如く修および造を障る不善所有の罪業の六分の一は還りて王に属す〕文。
 六波羅蜜経の六に云く_若王境内有犯殺者其王便獲第六分罪。偸盗・邪行及以妄語亦復如是。何以故 若法非法王為根本。於罪於福第六一分皆属於王〔若し王の境内に殺を犯す者あれば、其の王すなわち第六分の罪を獲ん。偸盗・邪行および妄語も、またまた是の如し。何を以ての故に。若しは、法も非法も王を根本と為す。罪に於ても福に於ても第六の一分は皆王に属するなり〕云云。
 最勝王経に云く_由愛敬悪人治罰善人故 他方怨賊来国人遭喪乱〔悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来りて国人喪乱に遭ふ〕等云云。大集経に云く_若復有諸刹利国王作諸非法 悩乱世尊声聞弟子 若以毀罵刀杖打斫及奪衣鉢種種資具 若他給施作留難者我等令彼自然卒起他方怨敵 及自国土亦令兵起病疫飢饉非時風雨闘諍言訟。又令其王不久復当亡失己国〔若しは復諸の刹利国王有て諸の非法を作して世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪ひ、若しは他の給施せんに留難を作さば我等彼をして自然に他方の怨敵を卒起せしめん、及び自の国土にも亦兵起り病疫飢饉し非時の風雨闘諍言訟せしめん。又其王をして久しからざらしめ復当に己が国を亡失す〕云云。
 大三界義に云く_爾時諸人共聚衆内立一有徳之人名為田主 而各以所収之物六分之一以貢輪田主。以一人為主以政法治之。因茲以後立刹利種大衆欽仰恩流率土。復名大三末多王〔爾の時に諸人共にあつまりて衆の内に一の有徳の人を立てて、名づけて田主と為し、而しておのおの所収の物、六分の一を以て、以て田主に貢輪す。一人を以て主と為し、政法を以て之を治む。茲に因て、以後、刹利種を立て、大衆、欽仰して恩を率土に流す。また大三末多王〈たいさんまたおう〉と名づく〕已上、倶舎に依て之を出す也
 顕密の事
 無量義経十功徳品に云く 第四功徳の下深入諸仏。秘密之法。所可演説。無違無失〔深く諸仏秘密の法に入って、演説する所違うことなく失なく〕。
 抑そも大日之三部を密教と云ひ、法華経を顕教と云ふ事、金言、出だす所を知らず。所詮、真言を密と云ふは、是の密は隠密之密なる歟、微密之密なる歟。物を秘するに二種有り。一には金銀等を蔵に籠むるは微密也。二には錙片輪等を隠すは隠密也。ー
 然れば則ち真言を密と云ふは隠密也。其の故は始成と説く故に長寿を隠し、二乗を隔つる故に記小無し。此の二つは教法之心膸、文義之綱骨也。微密之密は法華也。
 然れば則ち文に云く 四巻法師品に云く_薬王。此経是諸仏。秘要之蔵〔薬王此の経は是れ諸仏の秘要の蔵なり〕云云。五巻安楽行品に云く_文殊師利。此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔文殊師利、此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり〕云云。寿量品に云く_如来秘密。神通之力〔如来の秘密・神通の力を〕云云。如来神力品に云く_如来一切。秘要之蔵〔如来の一切の秘要の蔵〕云云。
 加之、真言の高祖、龍樹菩薩、法華経を秘密と名づく。二乗作仏有るが故にと釈せり。次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず。所以は何ん。大日経に云く_仏説不思議真言相道法。不共一切声聞・縁覚。亦非世尊普為一切衆生〔仏、不思議真言の相・道・法を説きて一切の証文縁覚を共にせず。また、世尊普く一切衆生の為にするに非ず〕云云。二乗を隔つる事、前四味之諸教に同じ。随て唐決には方等部の摂と判ず。経文には四教含蔵と見えたり。
 大論第百巻に云く_第九十品の釈問曰。更有何法甚深勝般若者。而以般若嘱累阿難。而余経嘱累菩薩。答曰。般若波羅蜜非秘密法。而法華等諸経。説阿羅漢受決作仏。大菩薩能受用。譬如大薬師能以毒為薬。〔問て云く 更に何れの法か甚深にして般若に勝れたる者有りて、而も般若を以て阿難に嘱累し、而も余経をば菩薩に嘱累するや。答て曰く 般若波羅蜜は秘密の法に非ず。而も法華等の諸経に。阿羅漢の受決作仏を説きて、大菩薩、能く受用す。譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕云云。
 玄義の六に云く_譬如良医。能変毒為薬。二乗根敗不能反復。名之為毒。今経得記。即是変毒為薬。故論云。余経非秘密。法華為秘密也。復有本地所説諸経所無。在後当広明云云〔譬へば良医の能く毒を変じて薬と為すが如し。二乗の根敗、反復すること能はず。之を名づけて毒と為す。今経に記を得るは、即ち是れ、毒を変じて薬と為す。故に論に云く 余経は秘密に非ず。法華を秘密と為すなり。また本地所説の有り。諸経に無き所なり。後に在りて当に広く明かす〕云云。-
 籤の六に云く_第四引証中言論云等者。大論文証也。言秘密者。非八教中之秘密。但是前所未説為秘。開已無外為蜜。次復有下。本門。言在後者。指第七巻。〔第四に引証の中、論云等と言ふは、大論の文証なり。秘密と言ふは、八教の中の秘密には非ず。ただ是れ前に未だ説かざる所を秘と為し、開き已れば外無きを蜜と為す〕文
 文句の八に云く_方等・般若雖説実相之蔵。亦未説五乗作仏。亦未発迹顕本。頓漸諸経皆未融会。故名為秘〔方等・般若に実相の蔵を説くと雖も、また未だ五乗の作仏を説かず。また未だ発迹顕本せず。頓漸の諸経は、皆、未だ融会せず。故に名づけて秘と為す〕。文
 記の八に云く_大論云 法華是秘密付諸菩薩。如今下文召於下方 尚待本眷属。験余未堪〔大論に云く 法華は是れ秘密にして諸の菩薩に付す、と。今下の文に下方を召すが如きは、尚お本眷属を待つ。あきらけし、余は未だ堪へず〕。秀句の下に龍女之成仏を釈して身・口密なりと云へり云云。
 此れ等之経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き、秘密教と定め給へるを、経論に文証も無き妄語を吐き、法華を顕教と名づけて之を下し、之を謗ず。豈に大謗法に非ずや
 抑そも唐朝之善無畏・金剛智等、法華経と大日経の両経に理同事勝之釈を作るは梵華両国共に勝劣歟。法華経も天竺には十六里之宝蔵に有れば無量の事有れども、流沙葱嶺等の険難、五万八千里十万里之路次、容易ならざる間、枝葉は之を略せり。此れ等は訳者之意楽に随ふ。広を好み略を悪む人も有り。略を好み広を悪む人も有り。然れば則ち玄奘は広を好み四十巻之般若経を六百巻に成し、羅什三蔵は略を好みて千巻之大論を百巻に縮めたり。印契・真言之勝るると云ふ事、是れを以て弁へ難し。羅什所訳の法華経には是れを宗とせず。不空三蔵の法華儀軌には印・真言、之れ有り。仁王経も羅什の所訳には印・真言、之無し。不空所訳之経には之を副えたり。是れを知んぬ、訳者の意楽也と。
 其の上、法華経には為説実相印と説きて合掌の印、之れ有り。譬諭品には_我此法印 為欲利益 世間故説〔我が此の法印は 世間を利益せんと 欲するを為ての故に説く〕云云。此れ等の文、如何。只広略の異なる歟。又、舌相の言語、皆是れ真言也。法華経には_治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕と宣べ、亦是前仏<亦是先仏>。経中所説〔亦是れ前の仏経の中に説く所なり〕と説く。此れ等は如何。真言こそ有名無実之真言、未顕真実之権教なれば、成仏得道、跡形も無し。始成を談じて久遠無ければ、性徳本有之仏性も無し。三乗が仏の出世を感ずるに三人に二人を捨て、三十人に二十人を除く。皆令入仏道の仏の本願、満足すべからず。十界互具は思ひもよらず。まして非情の上の色心の因果、争でか説くべき耶。
 然らば陳隋二代の天台大師が法華経の文を解りて印契の上に立て給へる十界互具・百界千如・一念三千を善無畏は盗み取りて我が宗の骨目とせり。彼の三蔵は唐の第七玄宗皇帝の開元四年に来る。如来入滅より一千六百六十四年歟。開皇十七年より百二十余年也。何ぞ百二十余年已前に天台之立て給へる一念三千の法門を盗み取りて我が物とする耶。而るに己が依経たる大日経には、衆生の中に機を簡び、前四味の諸経に同じて二乗を簡べり。まして草木成仏は思ひよらず。されば理を云ふ時は盗人也。
 又、印契・真言、何れの経にか之を簡べる。若し爾らば、大日経に之を説くとも規模ならず。一代に簡ばれ、諸経に捨てらる二乗作仏は、法華に限れり。二乗は無量無辺劫の間、千二百余尊の印契・真言を行ずとも、法華経に値はずんば成仏すべからず。印は手の用、真言は口の用也。其の主が成仏せざれば、口と手と別に成仏すべき耶。一代に超過し三説に秀でたる二乗の事をば物とせず。事に依る時は印・真言を尊む者、劣謂勝見之外道也
 無量義経説法品に云く_四十余年。未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕文。一の巻に云く_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕文。又云く_一大事因縁故。出現於世。〔一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう〕。四の巻に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕文。又云く_已説。今説。当説〔已に説き今説き当に説かん〕文。宝塔品に云く_我為仏道 於無量土 従始至今 広説諸経 而於其中 此経第一〔我仏道を為て 無量の土に於て 始より今に至るまで 広く諸経を説く 而も其の中に於て 此の経第一なり〕文。安楽行品に云く_此法華経。是諸如来。第一之説。於諸説中。最為甚深〔此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり〕文。又云く_此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔文殊師利、此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり〕文。薬王品に云く_此法華経。亦復如是。於諸経中。最為其上〔此の法華経も亦復是の如し。諸経の中に於て最も為れ其の上なり〕文。又云く_此経亦復如是。於衆経中。最為其尊〔此の経も亦復是の如し。衆経の中に於て最も為れ其の尊なり〕文。又云く_此経亦復如是。諸経中王〔此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり〕文。又云く_此経亦復如是。一切如来所説。若菩薩所説。若声聞所説。諸経法中。最為第一〔一切の如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは声聞の所説、諸の経法の中に最も為れ第一なり〕。
 玄の十に云く_已今当説。最為難信難解。前経是已説随他意〔已今当説 最為難信難解。前の経は、是れ已に他意に随て説く〕文。秀句の下に云く_謹案法華経法師品偈云 薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔謹んで案ずるに、法華経法師品の偈に云く 薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕文。又云く_当知已説四時経〔当に知るべし、已説は四時の経なり〕文。文句の八に云く_今法華。論法<論法一切差別融通帰一法。〔今、法華は、法を論ずれば〕。記の八に云く_当鉾<当鋒難事法華已前>〔鉾に当たる〕云云。又云く_明知他宗所依経。不是王中王〔明らかに知んぬ。他宗所依の経は、是れ王の中の王ならず〕云云。
 釈迦・多宝・十方之諸仏、天台・妙楽・伝教等は法華経は真実、華厳は方便也。未顕真実 正直捨方便 不受余経一偈 若人不信 乃至 其人命終 入阿鼻獄と云云。弘法大師は法華は戯論、華厳は真実なりと云云。何れを用ふべき耶。-
 宝鑰に云く_如此乗乗自乗得名望後作戯論〔此の如き乗々自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す〕文。又云く_謗人謗法定堕阿鼻獄〔謗人、謗法は定めて阿鼻獄に堕せん〕文。
 記の五に云く_是則戯論非求法也。故実相外皆名戯論〔故に実相の外は、皆、戯論と名づく〕文。梵網経疏に云く_第十謗三宝戒。亦云謗菩薩法戒。或云邪見邪説戒。謗法是乖背之名。【糸+圭】是解不称理。言不当実。異解説者。皆名為謗也〔第十謗三宝戒。亦は謗菩薩戒と云ひ、或は邪見と云ふ。謗は是れ乖背の名なり。すべて是の解り、理に称はず。言は実に当たらずして、異解して説く者を皆名づけて謗と為すなり〕文。
 玄の三に云く_無文証者悉是邪。偽同彼外道<謂同彼外道非二諦摂也>〔文証無くば悉く是れ邪まなり。偽りは彼の外道と同じ〕
 弘の十に云く_今人信他所引経論。謂為有憑。不尋宗源謬誤何甚〔今の人、他の所引の経論を信じて、謂て憑み有りと為す。宗の源を尋ねざれば、謬誤、何ぞ甚だし〕。
 守護章上之中に云く_若有所説経論明文権実・大小・偏円・半満可簡択〔若し所説の経論の明文有らば、権実・大小・偏円・半満を簡択すべし〕文。
 玄の三に云く_広引経論荘厳己義〔広く経論を引きて己の義を荘厳す〕。文。
 抑そも弘法之法華経は真言より三重の劣、戯論之法にして尚ほ華厳にも劣ると云ふ事。
 大日経六巻に供養法の巻を加へて七巻三十一品、或は三十六本には、何れの品、何れの巻に見えたる耶。加之、蘇悉地経三十四品、金剛頂経三巻三品、或一巻に全く見えざる也。又、大日経並びに三部之秘経には何れの巻、何れの品にか十界互具、之有り耶。都て無き也。法華経には事理共に有る也。所謂、久遠実成は事也。二乗作仏は理也。善無畏等之理同事勝は臆説也。信用すべからざる者也。
 凡そ真言之誤り多き中に、一 十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云。何れの経論に出でたる耶。一 善無畏之四句と弘法の十住心とは眼前の違目也。何ぞ師弟敵対する耶。一 五時を立つる時、六波羅蜜経の陀羅尼蔵を何ぞ必ず我が家の真言と云ふべき耶。一 震丹の人師、争でか醍醐を盗むといふ。年紀、何ぞ相違する耶。
 其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰の歳に至るまで百九十二年也。何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる六波羅蜜経之醍醐を盗み給ふべき耶。顕然の違目也。若し爾れば、謗人謗法定堕阿鼻獄は自責なる耶。一 弘法の心経の秘鍵の五分に何ぞ法華を摂する耶。能く能く尋ぬべき事也。-
 真言七重難。
 一 真言は法華経より外に大日如来の所説なり云云。若し爾れば大日の出世成道説法利生は釈尊より前歟、後歟、如何。対機説法の仏は八相作仏す。父母は誰ぞ。名字は如何。娑婆世界之仏と云はば、世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判也。涅槃経の三十五の巻を見るべし。若し他土の仏也と云はば、何ぞ我が主師親の釈尊を蔑ろにして他方疎遠の仏を崇むるや。不忠也。不孝也。逆路伽耶陀也。若し一体と云はば何ぞ別仏と云ふ耶。若し別仏ならば何ぞ我が重恩之仏を捨つる耶。唐尭は老い衰へたる母を敬ひ虞舜は頑ななる父を崇む是れ一
 六波羅蜜経に云く_所謂過去無量【歹+克】伽沙諸仏世尊所説正法 我今亦当作如是説。所謂八万四千諸妙法蘊 而令阿難陀等の諸大弟子一聞於耳皆悉憶持〔所謂、過去無量【歹+克】伽沙の諸仏世尊の所説の正法、我今亦当に是の如き説を作すべし。所謂、八万四千の諸の妙法蘊、しかも阿難陀等の諸大弟子をして一たび耳に聞きて皆悉く憶持せしむ〕。此の中の陀羅尼蔵を弘法我真言と云へる。若し爾れば、此の陀羅尼蔵は釈迦之説に非ざる歟。此の説に違すべし是れ二
 凡そ法華経は無量千万億の已説今説当説に最第一也。諸仏の所説、菩薩の所説、声聞の所説に此の経第一也。諸仏の中に大日、漏るべき耶。法華経は正直無上道の説。大日等の諸仏、長舌を梵天に付けて真実と示し給ふ。
 威儀形色経に、身相黄金色にして常に満月輪に遊び、定慧智拳の印、法華経を証誠すと。又、五仏章之仏も法華経第一と見えたり是れ四。
 要を以て之を言はば、以要言之。如来一切。所有之法 乃至 皆於此経。宣示顕説〔要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法 乃至 皆此の経に於て宣示顕説す〕云云。此等の経文は釈迦諸説の諸経の中に第一なるのみに非ず、三世の諸仏の諸説の中に第一也。此の外一仏二仏之経の中に法華経に勝れたる経有りと言はば不可用〔用ふべからず〕。法華経は三世不壊之経なる故也是れ五。
 又大日経等の諸経之中に法華経に勝るゝ〔勝法華経〕経文無之〔之無し〕是れ六
 釈尊御入滅より已後、天竺の論師二十四人之付法蔵、其の外大権之垂迹、震旦之人師、南三北七之十師、三論・法相之先師之中に、天台宗より外に十界互具百界千如一念三千と談ずる人無之〔之無し〕。若不立一念三千者〔若し一念三千を立てざれば〕、性悪の義無之〔之無し〕。無性悪義者〔性悪の義無くば〕、仏菩薩之普賢色身、真言両界之漫荼羅五百七百の諸尊は、同本無今有外道之法〔本無今有の外道之法に同ぜん〕歟。若立十界互具百界千如〔若し十界互具百界千如を立てば〕、本経何れの経にか十界皆成之旨、説之耶〔之を説けるや〕。天台円宗見聞之後、邪知荘厳の為に盗み取れる法門也。才芸を誦し浮言を吐くには不可依〔依るべからず〕。正しき経文金言を可尋〔尋ぬべき〕也。是れ七
 涅槃経の三十五に云く_我於処処経中説言 一人出世多人利益。一国土中二転輪王。一世界中二仏出世 無有是処〔我処処の経の中に於て説て言く 一人出世すれば多人利益す。一国土の中に二の転輪王あり。一世界の中に二仏出世すといはゞ、是のことはり有ること無し〕文。大論の九に云く_十方恒河沙三千大千世界名為一仏世界。是中更無余仏。実一釈迦牟尼仏〔十方恒河沙三千大千世界を名づけて一仏世界と為す。是の中に更に余仏無し。実には一りの釈迦牟尼仏なり〕文。記の一に云く_世無二仏国無二主。一仏境界無二尊号〔世には二仏無く国には二主無し。一仏の境界には二尊の号無しと〕文。持地論に云く_世無二仏国無二種一仏境界無二尊号〔世に二仏無く国に二種無く一仏の境界に二尊の号無し〕文。

七月 日蓮 花押

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