天台大師とは

大夫志殿御返事 弘安三年(1280)

小袖一・直垂三具・同じく腰三具等云云。小袖は七貫、直垂竝びに腰は十貫、已上十七貫文に当れり。
 夫れ以みれば天台大師の御位を章安大師顕して云く 止観の第一に序分を引いて云く_安禅而化。位居五品。故経云 施四百万億那由他国人一一皆与七宝 又化令得六通不如初随喜人百千万倍。況五品耶。文云 即如来使。如来所遣行如来事〔安禅として化す。位五品に居したまへり。故に経に云く 四百万億那由他の国の人に施すに一一に皆七宝を与へ、又化して六通を得せしむるすら初随喜の人にしかざること百千万倍せり。況んや五品をや。文に云く 即ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ず〕等云云。伝教大師、天台大師を釈して云く ̄今吾天台大師説法華経釈法華経特秀於群独歩於唐。〔今吾天台大師法華経を説き、法華経を釈すること、群に特秀し、唐に独歩す〕。又云く_明知如来使也。讃者積福於安明、謗者罪開於無間〔明に知んぬ如来の使いなり。讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕云云。
 如来は且く之を置く。滅後の一日より正像末二千二百余年が間仏の御使二十四人なり。所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は末田地・第四は商那和修・第五は・多第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は・羅・第十四は龍樹・第十五は提婆・第十六は羅・・第十七は僧・難提・第十八は僧伽耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者。此の二十四人は金口の記す所の付法蔵経に載す。但し小乗・権大乗の御使也。いまだ法華経の御使にはあらず。
 三論宗の云く 道朗・吉蔵は仏の使也。法相宗の云く 玄奘・慈恩は仏の使也。華厳宗の云く 法蔵・澄観は仏の使也。真言宗の云く 善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使也。日蓮之を勘へて云く 全く仏の使に非ず。全く大小乗の使いにも非ず之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん
 問ふ 汝の自義歟。
 答て云く 設ひ自義たりと雖も有文有義ならば何の科あらん。然りと雖も釈有り。伝教大師の云く_・捨福慕罪者耶〔・そ福を捨てて罪を慕ふ者あらんや〕と云云。捨福とは天台大師を捨つる人也。慕罪とは上に挙ぐる法相・三論・華厳・真言の元祖等なり。彼の諸師を捨てて一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし。
 三千大千世界と申すは東西南北一須弥山六欲梵天を一四天下となづく。百億の須弥山四州等を小千と云ふ。小千の千を中千と云ふ。中千の千を大千と云ふ。此の三千大千世界を一つにして、四百万億那由他国の六道の衆生を八十年やしなひ、法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と、相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり天台大師此れに勝れたる事五倍也。かゝる人を供養すれば福を須弥山につみ給ふ也と伝教大師ことはらせ給ひて候。此の由を女房には申させ給へ。恐々謹言。

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