南無妙法蓮華経を唱えるということは、「私は法華経を信じます」と宣言することである。
それなのに、心の中で「法華経なんか創作だ」「これはSFだ」「弟子が書いたに決まっている」「学問的には仏説という説は否定されているんだ」と信じ込んでいる人は、法華経を崇めながら法華経を捨てる人だ。
伝教大師此の人を破し給ふ言に「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を殺す」と
『法華初心成仏鈔』
こういう人は、信行を成就しているとは言えない。
法華経の受持・読誦の修業が正しくできているとは言えない。
お題目を唱える本当の功徳は得られない。
形式だけではだめ
世に、南無妙法蓮華経を唱える教団は数多ある。
「我々は法華経を信仰している」「日蓮大聖人を崇めています」と喧伝している。
日蓮系の団体に所属して、団員たちと一体となってお題目を唱えていれば「私は法華経の信仰に与っている」と思い込んでいる。
また、一般の人は、法華系の団体に所属している人を見れば、「ああ、そんなんですか、法華経を信じているんですね」とすぐに納得してしまう。
そして、私のように組織に入らず無所属で法華経を行じていの者を見れば、ただの奇行者に見えるだろう。
「あ、そう。それってあなたが勝手に決めて行っていることでしょ?」と。
しかし、どこかの団体に所属しているからといって、それがそのまま法華経を信じていることには結びつかない。
それは形式上できているだけだ。
……
そもそも、法華経を信じるとはどういうことか。
……
世間から加えられる非難
……
では、誰が法華経を信じることができるのか?
……


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