「創造主」の邪義

キリスト教などは「この世界は神によって創られた」と主張していますが、これは誤りです。
この世界を創造した者などいません。この世界は衆生のそれぞれの「業」の因縁によって成り立っているのです。
例えば、我々が踏みしめているこの大地も衆生の「業の力」によって支えられているのです。神の力ではありません。

仏言わく「梵天、所有る世界は是れ業の作る所、是れ業の化する所、一切衆生は是れ業の所作、是れ業の所化、業力の所生。<中略>更に作者(創造主)・使作者・安置者無し、唯だ業有り。法有って和合因縁するが故に衆生有り…

『大悲経』梵天品第一

比丘たちよ、梵世の中に一人の梵王がいる。その威力は最も強く、誰も彼を降伏させることはできない。彼は千の梵天を統括し、自在にして王と支配する。
そして、こう云う「私は創造し、変化させ、幻を起こすことができる」「私は父の如くである」と。あらゆる事柄においてこのような誇大な言葉を発し、我慢を生じる。
如来はそうではない。なぜなら、一切の世間はそれぞれの業の力に従って現れ起こり成立するからである。

起世経』 閻浮洲品第一


人間が創られたその根源は、あなたと父母の無明・愛欲の因縁が合わさり、肉体的に性交が行われたためです。
現に目に見える周りの世界、土砂や木石も自身の無明の業によって感じられたものです。

我が一念無明の心が、また父母の一念無明の心と合して色身(肉体)を生ず。依報(周りの世界)もまた、無明の業を共するに由って同じく石砂を感ず。

摩訶止観弘決』 巻第三


もし「始めの人間(アダムとイヴ)だけ神によって創造されたのだ」と主張してもこれも誤りです。
原初の人間をアダムとイヴとして決め付けることはできません。
そもそも人間、衆生に始まりのないことを仏は説かれています。人間の始めと終わりを捉えようとしても不可能であり、一切衆生は自らが作った業の因縁によって、六道を環の如く輪廻していくのだから、始まりも終わりもありません。


もしアダムとイヴが実在したとしても、その二人も前世に人間に生まれるべき業の因縁があって人間に生まれたのであり、その前世も復その前世に業によってある……このように展転して、その人物の始まりを捉えることはできません。

  • 神が息を吹きかけて命を与えた
  • 神は元々存在する
  • 神に前世など無い
  • 無から有が生まれる

などの見方は全て邪見であり間違っています。
先にも述べましたが、神を含めた一切衆生は必ず前世の業因縁の報いを受けて、今の身があるのです。

あるキリスト者は動物に向かっては、

あれは神様が動物として生きることを決められたから、動物に生まれたのよ

と決め込んでいる。
動物は動物に生まれるべき前世の「業」があって、その報いとして動物の身を受けて生まれてきたのであり、これも神が意図して決めたものではない。

あなたが両親の子として生まれてきたのは神が決めたことではなく、
あなたがその両親の子供として生まれるべき因縁があって生まれてきたのだ。
そこに神は関与しない。
あなたに子供がいるならその子は神から授かったものではなく、
あなた方夫婦の子供として生まれるべき因縁があって生まれてきたのだ。
神が授けたのではない。
「この子は神様から授かりました♪」なんて安易に言うものではない。

創世記は何千年も人類を邪見の穴に押し込めた、たちの悪い作り話です。信用してはいけません。
キリスト者は一見善良な人間に見えますが、その実は正しい考えを平気で破って周りの人間に邪見を広める、言動に過失の多い大罪人なのです

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